過去の課外活動(2010年~2014年)
講演会
2014年度金大祭日本史学研究室講演会(2014/11/03)
「日本陸軍の変遷と地域社会」
講師 荒川章二先生
今年は、国立歴史民俗博物館研究部教授の荒川章二先生を講師としてお招きしました。荒川先生は日本近現代史を専門に研究され、特に「軍隊と地域」に関する研究では第一線でご活躍されています。
今回の講演会で荒川彰二先生は、日本陸軍と地域社会との関係性について時代を追って説明してくださいました。荒川先生は、軍隊と地域について、両者の関係性は時期によって大きく変動すると述べ、日清・日露戦争を経て、郷土部隊や戦没者の葬儀等を通じて民衆の中に郷土意識・国民意識が定着していくことで、軍隊と地域は蜜月関係となったが、満州や中国大陸での軍隊の永駐化が進むアジア・太平洋戦争期では、軍隊の地域からの乖離が生じ、両者の関係は薄まっていき、戦後民衆は軍隊がいない状態、つまり憲法九条を受け入れていったと説明しておりました。時代ごとの兵力や軍隊内部の編制の変化の説明もわかりやすく、戦前・戦中の日本に興味がある私にとっては、軍隊と地域の関係を主軸に置いた今回の講演会は非常に勉強になりました。また、現在の自衛隊と地域との蜜月関係や、当時の軍が民衆に向けて行っていた活動など、講演会を聴講して自分の興味の幅が広がったため、今後は今回の荒川先生のお話も踏まえ、自分の知見を広げていきたいと思います。
(2年 新海誠航)
高岡城跡・城下町見学会(2014/10/18)
日本史学実習の授業の一環として、高岡城跡・城下町見学会が10月18日に実施されました。高岡市立博物館館長の晒谷和子さんに案内して頂き、午前中は高岡大仏・高岡市立博物館・高岡古城公園を、午後は前田利長墓所・瑞龍寺を訪れ、最後に山町筋や金屋町の町並みを歩きながら伝統的な家屋を見学しました。以下に参加者の感想を紹介します。
私は石川県出身のため富山県には何回か訪れたことがあるが、高岡市に行くのは今回が初めてであった。今回、一番印象に残った場所は古城公園である。始めに訪れたのは公園に隣接している市立博物館であった。博物館には、歴史的なものだけではなく地元出身の著名人の紹介や特産品の展示などもあり大変面白かった。また、子どもが興味を持てるようにするための展示品に関係するクイズや、実際に特産品に触れるブースが設けてあるなど、様々な工夫が展示に施されていた。次に古城公園内を散策した。公園の敷地内には神社・無料動物園・体育館などの施設があった。古城公園というと、城跡と大きな広場しかないと思っていた私にとっては、様々な施設が敷地内にあることはとても新鮮であった。この古城公園のように歴史的な場所であるだけではなく、大人子ども問わず地元の人が気軽に訪れることができ楽しめるようになっている土地の活用法はいいものであると思った。
(2年 安土絢)
大阪大学・金沢大学近代史ゼミ交流会(2014/9/12~13)
この春に金沢大学を卒業して大阪大学の大学院に進学した、OBの濱田恭幸さんからの呼びかけで、夏休みを利用して阪大で日本近現代史を専攻する学生・院生のみなさんと、金大の近現代史ゼミ生との交流会が催されました。第一日目は四校記念館で合同勉強会を開催し、阪大からは学部4年生の竹中詩穂さんが「1970年代後半から80年代の大阪の倒産争議の意義・限界点」というテーマで、金大からは科目等履修生の晒谷亮太朗さんが「第四高等学校と新制金沢大学にみる四校生の動向と意識」というテーマでそれぞれ研究発表を行い、活発な討論が繰り広げられました。第二日目は金大の能川泰治教員の案内で、金沢に司令部を置いた陸軍第九師団に関する痕跡を見学するスタディツアーを開催し、金沢城、武蔵ヶ辻~香林坊にかけての市街中心部と尾山神社、そして兼六園とその周辺を見学し、さらに自動車で移動して野田山の陸軍軍人墓地を見学しました。
他大学の大学院に進学したOBから声をかけていただいたおかげで、普段の授業では味わえないような、とても貴重な勉強と交流の機会を得ることが出来ました。声をかけてくれた濱田さんをはじめ、阪大のみなさんには心から御礼申し上げます。これからも、今回のような交流を大切にしていきたいものですね。
当日の参加者である、阪大院生の高岡さんから参加記をいただきましたので、以下に掲載します。 (能川泰治)
今回、金沢大学と大阪大学との合同勉強会・スタディツアーに参加させていただきました、大阪大学博士前期2年の高岡萌です。1日目にあたる9月12日は合同勉強会を開催し、金沢大学から晒谷亮太郎氏が、大阪大学から竹中詩穂氏がそれぞれの研究報告を行い、両大学学生が議論を盛り上げました。夜の懇親会を経た2日目の翌13日には、金沢大学の能川泰治先生のご案内で、金沢城とその周辺のフィールドワークが行われました。能川先生の解説を交えつつ、金沢という地域の、近世から近代に亘る様々な痕跡を訪ね歩くフィールドワークとなりました。
1日目の合同勉強会は、議論そのものも貴重なものとなりましたが、他大学の学生と交流しつつ、その考え方に触れることができたことが、何よりの収穫であったと感じています。自身の研究テーマの近い報告を聞くことができたのも、刺激となりました。
また、2日目のスタディツアーに参加できたことは、非常に大きな経験となりました。スタディツアーについては初参加であり、その趣旨をどこまで汲み取れているのかは甚だ心許ないものではありますが、私なりの感想を述べたいと思います。
やはり、何より歴史の現場を歩くことの意義を再確認できました。研究を進めていくと、自室や研究室に籠もってしまいがちになります。その中で実際に研究の対象となる地域を自分の足で歩く、目で見るなどを通して、資料だけでは見えてこない「雰囲気」を肌で感じることができたように思います。
そして、地域の中に残された過去の痕跡に興味を持つことの大切さを痛感しました。現在も残される痕跡、残されていない痕跡を注意深く見つめ、考えること、それらが歴史を考えることなのだと感じました。その営みが自分の住む地域を考えることにも直結するのだと思います。
能川先生を始め、金沢大学の皆様には、大変お世話になりました。このような交流がこれからも持てることを期待しつつ、御礼申し上げます。
(高岡萌(阪大大学院生))
大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2014/8/15~16)
近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年はゼミ受講生を中心に13名が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。特に今年の「むすび」訪問では、訪問者の学生が紙芝居劇に参加させていただいたり、「むすび」のアイドル本所さんが独特のパフォーマンスを披露して下さったりするなど、楽しい催しが満載でした。
以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。 (能川泰治)
私は今回釜ヶ崎スタディーツアーとサークル「むすび」との交流会に参加して釜ヶ崎の住民の政治意識の高さに驚き、また石橋さんが講義の際に説明されていた通り釜ヶ崎は人間味にあふれた街だという印象を受けた。
スタディーツアーでは、行政との関係をテーマに水野さんに釜ヶ崎の街を案内してもらった。その中で、小学校の花壇の外側にある散水器についての、「これは小学校の前で人を寝かせないために、水を道路に撒いて布団を濡れさせるため小学校が設置した散水器である」という説明と、その後の侵入者や寝る人への対策のため線路脇に三重に設置されたフェンスの説明では、釜ヶ崎での生活の実態と行政政策の関係について考えさせられた。
ツアー後に夏祭りに参加し、釜ヶ崎は人口密度が高い街だという事が実感できた。夏祭りの最中に自動販売機の前で、日雇い労働者の男性が「癒しや」「これからはこの子の時代や」と話しながら初対面の子供にジュースを買っている様子を見て、釜ヶ崎の住人の温かさを感じた。また夏祭りは、祭の実行委員会が三角公園の周囲におどろおどろしい字で開催の趣旨を表す声明を貼り出していたこと、武器輸出絶対反対と書かれたボードを持って祭に参加している人が一部にいたことなど、政治的立場の明確な表明の場としても機能している様にも見え、他の地域の夏祭りとの違いを感じた。
「むすび」との交流会では、紙芝居の発表の時カッパ役をやらせていただいた。カッパ役は「ゲバゲバ」という個性的な鳴き声が全てのセリフにある大変個性的なキャラクターで、演じ終ると良い役をやらしてもらったという充実感を味わえた。引率の能川先生から紙芝居への学生の参加は今回が初めてだったという話を聞き、世代交代した「むすび」のメンバーの、新しいことに挑もうとする情熱を感じた。
釜ヶ崎は特に労働と生活の面で過酷な経験をした人が集まっている街で、その経験からか住民はそれぞれに強い個性を持っているように感じた。私は今回の釜ヶ崎での経験から釜ヶ崎の住民に高い政治意識と人間味を感じたが、まだこの街の主な構成員が実際に何をして生活しているのかわかっていない部分が多いため、また釜ヶ崎を訪ねてみたいと思った。
(宮田朋典(2年生))
授業で、印象的だった言葉がある。むすびのマネージャーの石橋さんに、釜ヶ崎で暮らす人々が一番幸せだと思うことはなんだと思う?と聞かれた。なんだろう・・温かい布団で眠ることだろうか?お腹一杯食べることだろうか?答えは「家に帰ったらおかえりと言ってくれる存在がいること」だった。私には思いつきもしない答えだった。私とは異なる経験をし、人生を歩んできた人たちに実際に会ってみたいと、この時に思った。
初日の見学ツアーでは、現地を案内人の水野さんとともに回った。授業で聞いただけでは分からなかった、この地域独特の雰囲気を味わった。路上に布団を敷かれないために設けられた排水パイプ、三重の金網で道幅が狭くなってしまった道路、片面には一切窓のないシェルター・・・。行政、近隣住民、労働組合、それぞれの立場での主張が、街のあちこちに見え隠れしている、そんな印象を持った。
夕方には夏祭りが開催され、歌などの催し物の後、慰霊祭が行われた。ここに集う人たちは一体どういった気持ちなのだろうと思った。読み上げられる名前に知り合いがいない人だっているだろう。名前も顔も知らない「仲間」とは、様々な事情を抱えて釜ヶ崎で生活してきた人たちだからこそ、その間に生まれる観念なのではないだろうか。
最終日にはむすびの方々と交流会を行った。私は、公演を目標に日々練習をしているものだと思っていた。しかし意外にも、特に紙芝居の練習はしない、集まってお茶を飲む程度、という話だった。実際の紙芝居を拝見したが、アドリブも混ぜながら、楽しそうに演じていらした。ああそうか、紙芝居というのは一つのツールでしかないんだと気づいた。紙芝居という名目の元に、人々が集まり交流する。それまで個人と個人だったものが、紙芝居を通して居場所を見つけ、家族になる。「おかえりと言ってくれる存在」石橋さんの言葉を思い出した。
(湯川美奈子(フィールド文化学3年生))
「星野啓次郎さんと内灘闘争を歩く」(2014/5/31)
先月の5月31日に、日本史学研究室の近現代史ゼミ(担当 能川教員)では、学外実習の一環として「星野啓次郎さんと内灘闘争を歩く」と題し、内灘闘争の現場を巡るスタディツアーを実施しました。
内灘闘争とは、1952年から始まった、石川県河北郡内灘村(現在の内灘町)に米軍の試射場を建設する際に起こった反対運動のことです。現地住民のみならず、全国から多くの支援者が集まって激しい攻防が繰り広げられたこの運動は、戦後日本初の米軍基地反対運動としても有名です。今回のツアーでは、当時運動に参加された星野啓次郎さんに、実際の現場を案内して頂きました。星野さんは海軍志願兵として特攻隊要員を経験されました。戦後、星野さんは警察予備隊(後の自衛隊)に入隊しますが、「警察」とは名ばかりの軍隊としての活動に疑問を抱き、除隊後は共産党に入党し、内灘闘争には党の工作員として参加されました。星野さんの経験は、日本史研究室聞き取り調査記録である『かたりべ』第2~3集にも掲載されています。
ツアーでは実際の運動が行われた現場や、内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」を巡りながら星野さんに解説していただきました。星野さんは当時の内灘を知る人間として、具体的な事件を紹介しながら運動の経緯とその内実をリアリティあふれる語り口で話され、参加者は星野さんのお話を熱心に聞き入っていました。以下に参加者の感想を紹介します。
(晒谷亮太朗)
私は今まで、内灘闘争に関して、出来事の名称しか認識していなかった。しかし、今回、星野さんからお話を伺い、実際に歩くことで、多くのことがわかった。特に、民衆が生活のために必死に運動していたことが印象的だった。その必死さは、写真や映像などからも感じられた。あまり自ら運動を起こすことがなかった人々が、日常を守るために、抵抗を試みた点に、人々の覚悟が感じられると思う。また、運動を推進する立場にあった星野さんが、いかに強い思いを持っていたのかということも、星野さんが熱く語る様子から感じられた。
今回、内灘を実際に歩いてみて初めて、試射場となった場所の広さがわかった。それは想像以上のものであり、近辺に自分が住んでいたならば……と考えると恐ろしくなった。それを防ごうとする運動があったことを、今回知ることができてよかったと思った。そして、星野さんから当時の貴重なお話を聞くことができ、よかったと思う。本当にありがとうございました。
(荒木優里)
私は石川県で生まれ育っていながら、今まで内灘闘争についてあまり関心がなく、知識もほとんどありませんでした。米軍の試射場をめぐる反対運動だと言われても正直ピンときていなかったからだと思います。しかし、今回この企画に参加してみて、ぼんやりとしていた内灘闘争に対するイメージが少しはっきりしたように思います。私が特に印象に残っているのは闘争に多くの女性が参加していたということです。女性たちが子どもを背負いながら座り込みをしている写真を見て、海岸の接収、試射場の設置が内灘の人々の生活といかに密接に関わる問題であったかを思い知らされました。また、実際にその場を訪れて、星野さんのお話を伺ったことで、当時の様子や雰囲気といったものも感じとることができたような気がします。文献からでは知ることのできない多くのことを学べたと同時に、地元の歴史を知るという意味でも非常に有意義な体験であったと感じています。暑い中、私たちに多くのことを教えてくださった星野さん、本当にありがとうございました。
(川岸惟子)
今回星野さんに内灘を案内していただいたなかで、私がもっとも印象に残ったことは、内灘闘争が「女性の闘い」という一面を持っていたということです。当時の内灘では、漁に出た男性の代わりに女性が、特に母親が運動に参加していたということを、私はこのスタディーツアーで初めて知りました。そしてそれにより改めて、基地問題が当時の内灘の人々の生活を直接脅かすものであったということを知ることが出来ました。それまで私は、基地問題というと、時間的にも空間的にも自分から遠くの出来事のように感じていました。しかし、今回のスタディーツアーにより、それはその地の人々の生活に密接に関わるものであり、そこに今の自分に近い感覚を持ちながら基地問題に取り組んでいた人々がいたのだと考えなおしました。同時に、現在でもそれと同様の構図が沖縄などで繰り返されているにもかかわらず、その内実を全く知らない自分に気づきました。
そのきっかけを与えてくださった星野さん、最後になりますが本当にありがとうございました。事前にもっとしっかり勉強しておけば良かったとこちらが感じるほど、暑いなか丁寧に、そして熱意を込めて私たちに伝えようとしてくださった姿がとても印象に残っています。
(三輪悠里)
金沢城スタディーツアー(2014/5/10)
今年度は、5月10日に、毎年恒例となっている金沢城スタディツアーが実施されました。この企画は、2年生の必修授業である日本史学実習の一環として行われましたが、2年生のみならず、1年生の参加者も多く見られました。今回は、石川門に始まり、大手門や本丸などの説明を能川教員から受けつつ、金沢城公園を歩きました。以下に参加者の感想を紹介します。
(3年 荒木優里)
今回、私は初めて金沢城スタディツアーに参加させて頂きました。このスタディツアーで金沢城を見学して、私は普段何気なく目にしている町並みに歴史が詰まっていることを感じることが出来ました。やはり見学というと普通は建築物に目が行きがちですが、地形や道路の形、石垣にも目を向けることで、昔の金沢城の姿を垣間見ることが出来たのではないかと思います。
スタディツアーでは、歴史的な価値がある物の復元の難しさについてのお話も聞くことが出来ました。ただ無秩序に建物を復元するのではなく、現存する歴史的建築物との折り合いも考えて復元しなければ史跡としての価値が無くなってしまうということを学びました。金沢城を後世に伝えていくためにも、取り返しの付かないことになる前に十分な議論が必要だと感じました。
そして今回のスタディツアーで、歴史を学ぶことは机の上だけでなく、実際に現地を歩くことも大切だということを学ぶことが出来ました。最後に、教授を始めとするスタディツアーを運営して下さった皆様に御礼申し上げます。
(人文学類1年杉山亜美)
5月10日、快晴のもと能川先生主催の金沢城スタディツアーが行われました。私が初めて金沢城を訪れたのは去年の4月であり、桜が満開の時期でした。その時は初めて訪れた場所ということもあり城内を一通り見て回っただけで満足し金沢城を後にしましたが、今回のスタディツアーではその時に見落とした、というよりは見向きもしなかった見所の数々を見学することができました。
ツアーが始まり、最初に驚いたことは石川門の下を走る道路がかつて堀だったということです。前々からスクーターで走る際に好きなスポットの1つではありましたが、それは両側を石垣に挟まれており他とは異なった雰囲気を感じられるためでした。堀であったという説明を聞き、その感覚の原因らしきものを知ることができて軽い感動を覚えました。また、今回のツアーで得た大きな収穫の1つはいくつかの勘違いや思い込みを訂正できたことです。金沢城はもともと一向一揆の活動拠点だったこと、鉛瓦は木板を鉛で覆ったものだということなど初めて知ることばかりでした。それと同時に城についての基本的知識も学ぶことができ、「本丸」、「曲輪」といった基礎用語から「枡形」などの城の構造まで最低限の知識は得ることができたと思います。中学生の頃、天守閣を城の最上階部分だと勘違いしていた私からすれば大きな進歩です。
今年度から日本史学研究室に所属し感じたことは、歴史学の勉強は文献の読解が基本であり屋内で行うものだということです。しかし、今回のツアーを経験してその認識を改めることとなりました。文献から読み取ることと実際に見ることの間には理解のしやすさという点から見れば大きな差があります。先述した「枡形」を例にとれば、以前に本で読んだことがあったためその特徴については知っていましたが、それでも工夫すれば簡単に突破できるのではないかと思っていました。しかし、実物を見て当時の様子を想像するとそれほど簡単にはいかなそうだと実感しました。このようなことに気づけたことだけでも今回のツアーは自分にとって有意義なものであったと思います。大学の中にいてはできない様々な発見ができるというのも、実際に現地に赴いて学ぶことの醍醐味であると感じました。
また、文化財の復元・保存に関する話を聞きいろいろと考えさせられました。正直なところ、復元できるものは積極的に復元してもかまわないと思っていたのですが、時代の統一性などの様々な問題があると聞き、無闇に復元してしまう危険性を知ることができました。同時に、話題性や集客の問題との兼ね合いも重要であると思いました。最後に、私は現在旅行委員に属しているので、今後に予定されている研究室旅行も今回のツアーのように実りの多いものにできるように努めていきたいです。
(人文学類2年 斎藤悠汰)
2013年度2.11勉強会(2014/2/11)
今年も2月11日「建国記念の日」に、私たち日本史学研究室 近現代史ゼミ(担当 能川教員)では、2.11勉強会を開催しました。この勉強会は、現代社会に存在する問題を、歴史学の視点から考えることを課題として、毎年開催しています。かつて遠山茂樹氏は、2月11日を「建国記念」と国家が定めることは科学的な根拠を欠く上、憲法の保障する思想・良心の自由を侵すことになると主張しました(遠山茂樹「建国記念日反対運動の出発にあたって」〈『歴史評論』200号、1967年〉。『遠山茂樹著作集 第九巻 歴史学の課題と現代』〈岩波書店、1992年〉に所収)。今を生きる私たちも遠山氏に学び、一歩立ち止まって現代社会を考えてみようと始めたのが、2.11勉強会です。
今年は、「公害・環境問題史と歴史学」をテーマに、ゼミ受講生らが報告・討論を行いました。公害・環境問題は、明治期の足尾銅山鉱毒事件、高度成長期の四大公害、そして最近では地球規模の環境問題など、近現代日本社会を貫く大きなテーマとなっています。未だ収束していない福島第一原発事故を念頭に置きつつ、歴史学が公害・環境問題をどう描いてきたのか、そして今後の研究課題は何なのかということを、小田康徳氏・小松裕氏の著作・論文をもとに学習しました。
(3年 宮崎嵩啓)
以下に参加者の感想を紹介します。
私はこの勉強会に参加するまで、今回のテーマである公害問題についてちゃんと考えたことがなかったように感じます。四大公害については中学・高校でも教わってきましたが、過去の出来事としての認識しかありませんでした。しかし、この勉強会を機に、現在でも苦しんでいる患者がたくさんいること、訴訟問題が解決していないことなどを知り、まだ終わっていない問題、現在でも続く問題なのだと改めてわかりました。また、福島の原発事故をはじめ、現在起こっている多くの環境問題についても、歴史を通して見直すことで、それらがいかに深刻な問題であるかを痛感させられました。特に「いのち」の序列化についての議論では多くのことを考えさせられ、非常に難しい問題だと感じました。
今回の勉強会は自身にとって現在のさまざまな問題を見つめ直す良いきっかけになったと思います。また、歴史学の役割や可能性についての議論も行われ、これから歴史を勉強していく上で重要なことを学ぶことができたと感じています。ここで得たものを今後、活かしていけたらと思っています。
(2年 川岸惟子)
講演会
2013年度金大祭日本史研究室講演会(2013/11/02)
「鎌倉新仏教はなぜ崩壊したのか」
講師 平雅行先生
今年の講演会では、大阪大学文学研究科教授で日本中世仏教史を専門に研究されている平雅行先生に講演していただきました。
中世社会に以前から興味のある私にとって、今回の講演会に参加できたことは、大変有意義なことであったと思います。鎌倉新仏教ではなく、顕密仏教が中世仏教と見なされていく過程や、古代的勢力が競争の中で民衆社会へと浸透し、中世という時代に合ったものとして生まれ変わっていく動きを平先生は非常に分かりやすく説明して下さいました。とりわけ、旧仏教とされる仏教の中では悪人往生、悪人成仏は当たり前のことであり、仏教の民衆開放は法然・親鸞以前に旧仏教がすでに達成していたというお話は、今までの教科書的常識とは全く異なっていたので大変興味深いものでした。今回の講演会で改めて感じたことは、中世仏教の研究は、中世社会のあらゆる分野との密接な関連なしには語れないということです。1つの事象を考えるために政治や経済、宗教や文化など様々な方面からアプローチし、立体的に物事を考えていく。そのような研究方法ができればよいと思いました。
須貝杏奈(日本史学研究室2年)
金沢城スタディーツアー(2013/11/1)
2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、11月1日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。この企画には、副専攻の受講生や国際学類の学生、さらに熱心な1年生も参加してくれました。気持ちよく晴れた秋晴れの空の下、午前中は金沢城公園、午後は用水路を中心に城下町の痕跡を辿り、普段何気なく目にしている街の景観に、様々な歴史の痕跡が刻み込まれていることを実感しました。以下に参加者の感想を紹介します。
私はこれまで金沢城を何度も見ていながら中を詳しく見て回ったことは一度もなく、恥ずかしながら「金沢城=前田利家」というイメージを抱いていました。そんな私にもこのツアーの内容はとても分かりやすくて楽しめるものでした。城の構造など全く知らなかった私にとっては、最初に本丸、二の丸、三の丸など、城を見る上で基本となる前提知識から説明してもらえてありがたかったです。金沢城公園を歩きながら間近で城の防御の工夫や構造、また地理的仕組みを実際に見ることができて、漠然とした「お城」のイメージではなく、かつて実際に利用していた人々がいた歴史的建造物なのだということを実感しました。また、「石垣の博物館」である金沢城は石垣一つとっても様々なことが見えてくるのだなあと思いました。
この他にも、今の金沢城がいつ頃のものなのか、金沢城(公園)が(大学のキャンパスだったことも含めて)どんな変遷をたどってきているのか、観光地としての金沢城と、歴史的建造物としての金沢城との関係をどう考えていくべきかなどの問題も資料をもとに解説されていて、金沢城を背景の歴史と実際の構造の両方から見ることができて、理解の深まる面白いものでした。
午前中の金沢城ツアーに引き続いて、私は午後からのツアーにも参加しました。金沢の街を流れる用水をたどってかつての金沢のあり方を見ていくというものでしたが、こちらも午前中とは違った楽しさがありました。用水路をたどることで、(惣構堀など)かつての水路の構造や金沢城への水の引き方、水路を埋めていった跡から用水の構造の変遷などが見えてきて、水の流れが昔とほとんど変わらないからこそ分かることだなと思い、こうした視点から街の歴史を見ていくのも面白いなと感じました。これからは金沢の街中を流れる用水を見る目が変わりそうです。
一日ツアーに参加して、歩いて目で見ることで分かる歴史もあるのだなと改めて実感しました。当日は一日晴天でとても気持ちよく歩けました。金沢大学にとって一番近くにある金沢の歴史に触れられて、非常に有意義で、参加してよかったと思いました。
(人文学類日本語学日本文学専攻3年 桶田幸知香)
私は今回初めて金沢城、兼六園を含む城下町のスタディツアーに参加させていただきました。このスタディツアーを通して私は、普段何気なく生活しているこの金沢という町には歴史的遺産が多く残されており、そしてその一つ一つに歴史的背景や意味があることを改めて学ぶことができました。特に金沢城では石垣の積み上げ方で年代がわかることや、明治時代の軍隊の負の遺産が存在していること、そして金沢大学が城内にあったときの学都としての金沢城の姿など、同じ場所でも様々な時代背景が読み取れることに非常に関心をもつことができました。また、金沢城に限らずフィールドワークをする際は何か自分から発見することができるようになりたいという意識ももつことができました。兼六園、そして城下町では水の流れをテーマにスタディツアーを行いました。このスタディツアーを通して私は、普段全く気にしていなかった水の流れというものをテーマにするということに驚き、金沢や他の町にもさらに普段目のつくことのない遺産が多くあるのではないかと考えました。
今回のスタディツアーに参加させていただいたことで、多くのことを学び、そして多くのことを考えるきっかけを自分自身で発見することができたと思います。そして今回学んだことを一人でも多くの方々に伝え、興味や関心をもっていただけたら幸いです。
最後に、スタディツアーを運営してくださった教授の皆様、お世話になりました日本史学研究室の皆様にお礼申し上げます。(人文学類1年 嘉藤美帆)
大阪・釜ヶ崎地域訪問(2013/8/15~16)
近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を計画していますが、今年はゼミ受講生を中心に5名の学生が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。
【釜ヶ崎ツアーの感想】
今回初めて釜ヶ崎ツアーと紙芝居劇サークル「むすび」との交流会に参加させていただきました。この2日間の体験を通して私は自分を見つめなおす機会をいただき、釜ヶ崎が生きる力にあふれた町だと感じました。私は大学に入るまで釜ヶ崎について全く知りませんでしたが、周りの人に聞くと「スラム」という言葉で説明され、少し怖くて暗いところをイメージしていました。でもツアーで町を歩き、お盆の慰霊祭に参加し、釜ヶ崎で暮らす方々の話を聞いているうちに、いつのまにかそんなイメージは消えてしまいました。
町の様子は決して綺麗な町とはいえません。それでもスラム扱いされる程の状態とも思えませんでした。保証なしで入れる福祉アパートや、家を持たない人たちが安心して眠れるように作られたシェルター(2段ベッドが大量においてある建物で、宿泊無料)もあります。あいりんセンターでは仕事や取れる資格を探す多くの人たちを目の当たりにします。毎日一生懸命仕事を探して生きておられる人たちです。
釜ヶ崎まつりには若い人もたくさんきて、安くて美味しい手作り屋台や歌でとても賑わっていました。そのまつりのプログラム中に去年のお盆から今年のお盆までに亡くなった釜ヶ崎の方々に手を合わせる慰霊祭というものがあります。それは神父様のお言葉のあとにお経が読まれ、宗教の別なく全ての「仲間」の冥福を祈る会でした。ここに住む人はみんな当たり前に「仲間」だ、と言われたような気がして、私は自分の故郷にそんな共通認識があるだろうか、と考えさせられました。2日目にお邪魔した紙芝居劇サークル「むすび」には、働けなくなって社会保障を受けているとはいえ、まだまだ元気に紙芝居劇で毎日を楽しんでいる人たちにお会いしました。一緒にそうめんを食べながらそんなおっちゃんたちの笑顔を見ていると、自分も精一杯充実した日々を過ごそうと思いました。
35度以上の猛暑のなか3時間にもわたって釜ヶ崎を案内してくれた阿修羅さんは、今の釜ヶ崎のことをもっと多くの人に知ってもらいたいと仰っていました。実際に釜ヶ崎を歩いたことの無い人たちの中で悪いイメージが広まってしまっているのは、とても悲しいことです。釜ヶ崎ツアーは夏と冬の2度しか開催されていませんが、釜ヶ崎を知ろうとする人たちがもっと増えてくれることを期待しています。また、教員志望の自分としては、これからの中高生たちに、日雇い労働に対する偏見や社会制度について、考える機会を少しでも多く作ってあげたいと思います。
最後になりましたが、ツアー運営の方々、「むすび」の方々、釜ヶ崎でお会いした全ての方々、本当にありがとうございました。
日本史学研究室4年生 原田明季
2012年度2.11勉強会(2013/2/11)
近代ゼミでは、「歴史学と現在」という基調テーマに基づいて、2.11勉強会を毎年行っています。この勉強会は、ゼミ受講者に限らず他学類からも参加者を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点を深めています。また、テーマ設定・発表の段取りなどは、近代ゼミ受講者が自主的に取り組んでいます。
今年は、「歴史教科書問題」をテーマとし、近代ゼミ受講者3人によって個別発表が行われました。ます、主要テキストとして阪東宏『戦争のうしろ姿』(彩流社、2006年)を取り上げました。そこで、1982年に日本の高校教科書検定が十五年戦争における日本の「侵略」を「進出」として書き改めさせたことを契機として、歴史教科書問題が日・中・韓三国をめぐる歴史認識論争に発展したことに触れました。その後、3人の発表者によって、1982年当時の日中・日韓関係、日・中・韓三国よる歴史認識共有のための歴史対話、日本史と世界史の統一的認識という3つの個別発表が行われました。そして、議論では、経済学類、学校教育学類など学類を問わず様々な方から意見をいただき、「歴史教科書」はどうあるべきか、教員を目指す人はそれをどう捉えるべきか、という論点を深めることができました。今年は、発表者から一人、学校教育学類の参加者の方から一人に、2012年度2.11勉強会の感想を書いてもらいました。
日本史学研究室3年 濱田 恭幸
2.11勉強会感想
今回の2.11勉強会では阪東宏氏の『戦争のうしろ姿 教科書問題と東アジア諸国民との歴史対話』をテキストにして歴史認識についての発表が行われた。その中で、1982年の教科書問題、歴史認識を議論するシンポジウム、歴史の教育の仕方についての考察が発表されたわけであるが、これらのいずれも今の東アジアとの関係、特に韓国、中国との関係に大きく関わるものである。そのことを参加していただいたみなさんと議論ができてとても有意義であったと思う。
また、発表を行わせていただいたわけであるが、私自身の発表で至らないところがあり、議論において十分な論拠を持たないまま応答した部分もありそれは反省すべき点であると考えている。しかしながら、教科書教育の在り方などこの勉強会でとどまらない論点が挙げられていたので、継続的に議論できるものを生み出した点で発表をしてよかったと思っている。
今回の勉強会では人文学類だけなく、経済、学校教育の方からも参加された方がいて、普段の議論では見えない指摘や切り口で議論に参加され、とても刺激になった。発表者の一人としてお礼を申し上げたい。
日本史学研究室2年 風 雄二郎
歴史教科書問題については、新聞記事をいくつか読んだことある程度だったので、211勉強会に参加すれば、歴史教科書問題に対する歴史的な専門知識に触れることができるのではないか、と思っていました。
当日は洗練された資料やレジュメのおかげでとても興味深いものでした。歴史教科書問題は、歴史だけ、教科書だけ、学校だけの問題ではなく、全ての要因を複合的にはらんでいるため、レジュメから浮き出る論点も多様なものでした。
まさに現在と歴史をつなぎ、そこに教育もつながってくる課題でした。そんな時に、勉強会には歴史研究ゼミだけでなく、経済学部、教育学部等からも人が集まっていたので、それぞれの立場から見えてくる論点は多様なものでした。議論の場において、そこに様々な経歴をもつ人間が集まると自分一人では見えていなかったものに直面できる事が、本当におもしろいと思います。また、歴史教科書問題を考える際に“どんな立場をとるか”というのは重要な要因の一つであると私は感じました。
勉強会を終えて、もっと勉強したい、という思いが一番強いです。自分の知らない本を読んで、知らない世界にふれて、多様な立場と出会いたいです。
学校教育学類2年 栄田 真希
講演会
2012年度金大祭日本史研究室講演会(2012/11/04)
「遊行女婦から傾城へ~網野善彦批判~」
講師 服藤早苗先生(埼玉学園大学教授)
私は女性史について興味があったので今回の講演を大変面白く聞かせていただきました。網野、後藤両氏が主張した遊女、朝廷所属説・内教坊管轄説に対し、網野氏が根拠にされた五節舞姫の下仕に遊女が選ばれていたという点について、服藤早苗氏は史料をもとに批判的に再検討を加えられ、下仕としての遊女は臨時的なものであり、公的に奉仕しているものではないこと、またその職務についても儀式的なものではなく、当時の童女の顔の見られ方から特権的貴族層の娯楽にすぎないということを明らかにされ、朝廷所属説や聖なる性説は疑問であるという見解を示されました。
講演を聞いて当時の童女、下仕たちの立場が鮮明に浮かび上がり、特に「ロリータ趣味」、「鑑賞者による視覚対象」という表現には衝撃を受け、当時のこういった女性たちの地位について考えさせられました。
末松英理 (日本史3年)
大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2012/8/15~16)
近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を計画し、ゼミ受講生を中心に7名の学生・院生が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。
?8月15、16日と釜ヶ崎を訪れたことは、私にとって大きな収穫があったと思う。一番大きかったのは、事前に自分が持っていた誤ったイメージや偏見を改めることができたことだ。私は、釜ヶ崎を実際に訪れる前にインターネットで釜ヶ崎がどんな場所であるか調べてみたのだが、そこで言われていたような危険な街ではないことが分かった。もちろん釜ヶ崎ツアーとして、そこに訪れた私たちに、釜ヶ崎の人々から向けられるのは好意ばかりではなかった。何人かの人々は罵声を浴びせてくることもあった。しかし、私は、そこに暮らしている人は、私たちとなんら変わらない普通の人だと感じた。
15日の夜には、慰霊祭に参加した。慰霊祭とは、一年の間に釜ヶ崎で亡くなった人を弔う行事である。祭壇を中心にして人々が何重にも集まり、釜ヶ崎の“仲間”のために祈りをささげる。仲間のために祈るということが、死んでしまった人だけでなく、生きている人にとっても意味があるのだと思った。自分が死んでも、こうして仲間が自分を覚えていて、自分のために祈りをささげてくれるかもしれないというのは、本来一人で死に、忘れられていくだけの人々にとっては、大きな意味を持つのだろうと思った。
また、釜ヶ崎のおじさんたちが集まって紙芝居をしている「むすび」というグループにも訪れた。おじさんたちは、私たちのために予定にはなかった紙芝居をしてくれた。また、私たちが作った素麺を「おいしい」といって食べてくれた。なかなか自分たちから話し出すことのできない私たちを気遣って積極的に話しかけてくれた。どこかで、こうして訪ねることは、本当は迷惑なのではないか、と思っていたが、おじさんたちが私たちを歓迎してくれているのが伝わってきて本当にうれしかった。私が自分の卒業論文のテーマが遊郭に関するものだと話すと、かつての飛田遊郭がどのような様子であったかなど話してくれた。私の話を聞いて、それに関することを話してくださる。私の研究を面白いと言ってくれたことがうれしくて、こちらがもてなされているような気分になった。
今回、釜ヶ崎を訪れたことにより、私は改めて自分の目で見ることの大切さを学んだと思う。偏見や思い込みで話すのは簡単であるし、目で見たものがすべてかといえば、決してそうではないと思う。しかし、実際自分が訪れ、そして体験をした意味は大きいと感じた。
大﨑由貴(人文学類4年生)
2012年8月15日に「釜ヶ崎」と呼ばれる日雇い労働者が集まる地域の歴史と現状を見て回るスタディーツアーに参加した。当日は釜ヶ崎なつまつりの最終日ということもあり多くの人が集まっていた。私たちが参加したスタディーツアーは「夏まつり釜ツアー」と題して、毎年夏と冬の年2回行われているものである。私たちの他に、さまざまな人たちが参加していた。案内人は釜ヶ崎で労働経験もある水野阿修羅さんであった。午後1時から4時頃まで約3時間町中を歩きお話を聞くことができた。
★夏祭りの様子
夏祭りは4日間行われ、15日はその最終日であった。祭りのメインイベントである慰霊祭も行われるということもあり、会場の三角公園は人だらけであった。スタディーツアーで町を歩いていた時は出会わなかったが、祭りの会場には子どもたちの姿も見られた。人はたくさんいたものの、日雇い労働を経験してきたと思われるおじさんたちの多くは一人で行動している人がほとんどであった。会場には1年の間に釜ヶ崎で亡くなった方々の祭壇が準備されており、手を合わせている人の姿も見られた。祭壇に手を合わせている姿を見て、彼らは釜ヶ崎で生活しているということを通して繋がっているのだと感じた。釜ヶ崎の毎日がどのような様子なのかはわからないが、この夏祭りは一人で暮らしているおじさんたちが、同じ境遇の人や違う世代の人などと交流ができる大切なイベントであるのだと感じた。
★「むすび」の事務所を訪れた感想
短い時間ではあったがむすびの事務所でおじちゃんたちの体験談などを聞くことができた。これまでの石橋さんや能川先生のお話から、おじちゃんたちは初対面の人たちに対して話をしたり関わったりすることはあまり好まないのではないかと思っていたが、いろいろな話をして私たちを歓迎してくださった。これまでに体験した仕事、行った場所、家族についてなどかなりプライベートなことまでお話をしてくれた。また私たち学生の専門や将来、学校生活についてなどもいろいろ質問をしてくださり、楽しくお話をすることができた。想像しいていたよりも親しみやすくかわいいおじちゃん達ばかりであった。むすびの事務所に通っているおじちゃん達とサポートスタッフのみなさんはなんでも言い合える家族の様であった。むすびという場所は彼らにとってとても大きな存在であるということを感じた。あのように自分の人生を振り返り語れるようになるまでには、むすびのいろいろなサポートがあったのだろう。日雇い労働の現場や仕事内容、労働者の当時の気持ちなどは直接聞かない限りなかなか知ることはできないことである。今回話を聞いた私たち学生にできることは、より多くの学生に日雇い労働の現状や歴史、高齢化の問題について伝えていくことだと感じた。
★最後に
上に述べた以外にもたくさん学んだこと、感じたことはある。授業や石橋さんの講話を聴いて、理由は説明できないが、釜ヶ崎という地域に惹かれた。現地に行くまでは全く想像もできない世界であったが、その歴史や問題、現状そして何より「むすび」の活動に興味をもった。釜ヶ崎の町を実際に歩き、はじめて見るものばかりで驚いたが、新しい世界を知ることができたことに喜びを感じた。私が今送っている当たり前の生活の元には現在釜ヶ崎で生活しているおじさんたちの命がけの仕事があったから成り立っているのだということを見つめなおすことができた。そして私たちの現代的な生活がすべての人にとって便利で住みやすいとは限らないということにも気づくことができた。支援やサポートをする側の役割とは何なのか。その目的は何なのか。私自身もいろいろな活動に参加してきたが、今回のスタディーツアーを通して改めてその活動をする理由等を考えさせられた。自分の生活と比べて苦しそうだな、貧しいな、困難があるな、などと感じたときに人はその人たちに手を貸そうとするが、それが正しいのかはわからない。手を貸すことでその人の生活が豊かになるのか、それとも自分の気持ちだけが豊かになるのか。正解はないかもしれないが、私はこれからもいろいろな活動に参加していこうと思う。自分だけでなく、周りの人々の気持ちも豊かにできるよう、いろんな角度からものを見ることを大切にしていきたい。
平沢理子(国際学類3年生)
2011年度 2・11勉強会(2012/2/11)
金沢大学近代ゼミの恒例行事である2・11勉強会を今年も開催しました。この勉強会は、参加者をゼミ受講者に限らず他学類からも参加を募り、日本近現代史の重要テーマへの理解を深める会です。司会・発表共に近代ゼミの2年生主体で行いました。決して日本近現史の勉強会ではありません。写真の中に誤解を招く板書があることにつきましては、大変申し訳なく思っております。
今年は「歴史認識と歴史教育」というテーマを設定し、テキストとして取り上げたのは遠山茂樹さんの2論文です。(「建国記念日反対運動の出発にあたって」〈1967〉、「紀元節反対二〇年の意味」〈1976〉 ※どちらも『遠山茂樹著作集 第九巻』〈岩波書店、1992〉に所収されています)まず、旧紀元節である2月11日が建国記念日とされるに至った歴史とその問題点についてふれ、次に遠山茂樹さんの歴史認識と歴史教育についての発表を行いました。その後の討論は、能川教員からは発表へのコメントを、参加者の方からも様々な意見質問を頂き、大いに充実した時間となりました。今年は法学類から一人と、一年生が一人、参加者がいたので、彼らに今回の勉強会の感想を書いてもらいました。
この勉強会では、建国記念日に対する遠山茂樹氏の問題提議から、歴史学やその他の論点にも立ち入って議論が行われ、最初はその内容の深さゆえ議論のペースがつかめずにいた。しかし時間が進んでから出てきた、最近の地方自治体での変化、専門家以外の人の歴史認識といった論点については、周囲の話を聞きつつ自分なりにそれらに関し、考えを巡らせる事が出来た。
また、遠山氏の言葉から、歴史学に留まらず広く研究者のあり方や、今後の教育で生徒にどう歴史を教えるべきかについて思考する機会も得た。
さらに、今の社会や政治を考える上で、現代と直結していない近代以前について学ぶ事にどんな意義があるのかという話題も出た。これまでその様な事を考えた経験はあまりなく、この議論を大変新鮮に感じた。
多くの論点が出たこの勉強会だが、基本的には遠山氏の問いかけを通じて、一人一人が歴史から何を読み取り、あるいはどう行動すべきかという事が議論の核となっている。それらに対する答えは未だに出ないが、例えそうであっても、考え続けていくという事が何よりも大切なのだろう。今回はその事を改めて認識させられる貴重な機会となった。
木下慎梧(法学類2年生)
2.11建国記念の日,その存在を疑問に思うことなく過ごしてきましたが、この勉強会を通して考えてみると大変難しい問題と認識しました。この問題は背後に、紀元節復活や憲法改悪、そして私たちの政治的無関心といった要素が絡みあっており、簡単に価値判断を下してはいけないと私は感じました。また、参考テキストとして遠山茂樹氏の論文を使用しましたが、筆者の立場という言わばフィルターを通して見るか否かで認識が違ってくることも身を以て体験できたような気がします。
今日の勉強会は各々が自分の意見を述べ合うという双方向型のもので、私にとっては大変新鮮でした。同時に、自分の中で先生・先輩方の考えを整理し、意見を常に持ち続けることは容易でないと痛感したことも事実です。
是非今日だけの勉強にとどめず、これからも問題意識を持って勉強していけたらと思います。2月11日にこの問題を考えることができ、様々な面で勉強になった1日でした。
宮崎嵩啓(人文学類1年生)
講演会
2011年度金大祭日本史研究室講演会(2011/11/04)
「昭和天皇と戦争―戦争指導と戦争責任―」
講師 山田朗先生(明治大学教授)
今年の講演会では、明治大学から山田朗先生をお招きして、昭和天皇と戦争をテーマに講演していただきました。講演会の企画を担当してくださった研究室の学生の参加記を掲載します。
私はこれまで戦争責任についてよく考えたことはありませんでした。それは私自身の関心の低さもあり、その以外にも高校までの歴史の授業などであまり大きく触れられることがなかったのもあったのではと思いました。そしてそれは天皇と戦争責任の関連が曖昧にされたまま、未だにはっきりさせられていないためだと知りました。しかし先生の講演を聞き、実際の昭和天皇は日本軍にとって精神的な柱であると同時に、それは天皇自身がそうなろうと望んだものでもあり、さらに軍事情報について質問しては、世界情勢を考慮した上での指示を与えたりするなど、積極的に戦争に関与していたことを知りました。
史実の示した昭和天皇の姿は、決して軍に振り回されるだけの存在ではありませんでした。私たちはこれらのことを理解した上で、戦争責任問題と向き合い、私たちの曖昧な歴史認識をはっきりさせなければならないと思いました。 老泉 (日本史3年)
私はかねてから戦争責任について強い関心を抱いていたため、この講演を楽しみにしていました。講演は太平洋戦争における昭和天皇の戦争関与の実態を明らかにした後に、天皇の戦争責任の有無について考えるという流れで非常に分かりやすく説明して下さいました。当時情報がかなり錯綜していたものの、天皇に現状報告が逐次なされていたため天皇の戦争責任を無にすることはできないと思います。しかしまた高官らが終戦のタイミングを見誤った政治判断の失敗が戦争の長期化と原爆投下という惨事で多数の死者を出す原因となったことから戦争の責任を問うということは非常に難しいと思いました。当時の混乱した状況を鳥瞰し、個々の罪を断罪していくということは時代を経た今でも明確な答えが見出せていません。この講演が聴けたことで今後の学問の深化に繋がりましたし、また、戦後世代としてこの問題を今、問い直すことの重要性を改めて認識しました。
本穂波(国際学類2年生)
近現代ゼミ211勉強会について
近現代史ゼミでは、毎年2月11日に授業の一環として勉強会を開催し、現在の歴史学が直面している課題について勉強しています。今年は、田中伸尚著『靖国の戦後史』(岩波新書、2002年)をテキストにして、「靖国問題を考える」というテーマを立てました。なぜこのテーマを立てたのかといいますと、今年度の近現代ゼミでは、戦争体験の聞き取り調査に取り組みましたが、そのとき協力して下さった証言者の、凄まじい戦場体験のお話と、「これだけ多くの人が死んだということをよく考えてほしい」という証言者の思いを伺ううちに、出征して亡くなった戦没者に対して歴史学はどう向き合ってきたのか、今後どう向き合うべきなのかという問題に行き当たり、まずは靖国問題について知ることから始めようと考えたからです。
当日は、ゼミ受講生の晒谷亮太朗・老泉量の2人が報告を担当して、テキストの内容紹介とコメントを披露し、その後、参加者全員で、靖国神社のどういう点が問題なのか、戦没者に対して私たちはどう向き合えばいいのかという点を中心に議論しました。また、今年は、近現代ゼミ受講生以外の1、2年生が多数参加し、積極的に発言してくれたので、とても実りのある勉強会になりました。
以下に、参加者の感想を紹介します。
初めての学問的なディスカッションでしたが、1回生の内に今までの入試詰め込み式の日本史学とは異なる形式の勉強に参加できて、とても良い経験になりました。今回の211勉強会で良かったと思った点は2つあります。1つは、学類・年齢を問わずにみんなが一体となって「靖国問題」について議論できたことです。今回は、靖国問題とも深く関わっている中国からの留学生の方や実際に靖国に行ったことのある方も参加されていて、グローバルに、リアリティに富んだ議論に参加できました。2つめは、今回の211勉強会が「建国記念の日」に行われ、2月11日その日が論題であった「靖国問題」と深く関わっていた点です。「靖国問題」について考えながら、同時に日本史学でも問題になっている「建国記念の日」についても考えるきっかけになりました。一石二鳥の勉強会になったと思います。
次にこの211勉強会で改善すればさらに良い勉強会になると思った点は、できれば先生以外の近現代史を専攻なさっている方の意見をもう少し聴いてみたかったです。「靖国問題」に関する様々な著書を読まれたと思いますが、それらを踏まえた意見・考えを聴けたらより議論が盛り上がったと思います。 (人文学類1年 濱田恭幸)
多種多様の問題が複雑に絡み合い、もはや一筋縄では解決できない状態のまま放置されてきたのか。最初に靖国問題の概要を知った時にそう思った。しかし、そう頻繁に取り上げられる問題ではない。それ故国民のこの問題に対する意識は低いが、その程度の認識のまま放置してもよい問題であるのか。私はこの211勉強会に参加させて頂き、靖国の抱える問題の重大さを改めて思い知った。この勉強会では、靖国が抱える重要な問題である遺族の感情を、追悼という行為と結び付けて議論した。靖国神社に「英霊」として祀る行為が、その英霊の魂、そしてその遺族の感情を無視している。しかし逆に、「英霊」として祀られる事で深く悲しむ心を救われた遺族もいる。そんな不安定な状態で戦後65年以上が経ち、当時の日本を生き抜いてきた人々は高齢になり、戦争体験の語り手は少なくなってきている。ならば、この問題について議論するのはまさに今ではないだろうか。刻々と時が経つにつれ風化していく戦争問題が、未解決のまま放置され過去のものになっていくのを、黙って見ているわけにはいかない。
(国際学類1年 山田葉子)
講演会
2010年度金大祭日本史研究室講演会(2010/11/06)
「木簡から見た平城京」
講師 渡辺晃宏氏 (奈良文化財研究所 都城発掘調査部史料研究室室長)
今年の講演会では、平城京の研究に力を注がれている奈良文化財研究所から渡辺晃宏先生をお招きして、木簡と平城京をテーマに講演していただきました。講演会の企画を担当してくださった研究室の学生たちの参加記を掲載します。
ちょうど遷都1300年という節目の年に平城京・宮のお話を伺うことが出来たことはとても有意義な体験でした。奈良文化財研究所の先生の講演を聴く機会は金沢にあってはなかなかないので、文献資料を読むことが中心となっている私たちに、木簡という出土資料の持つ意味やその重要性について分かりやすく、しかし深くお話しいただけたことは新鮮であったと共にとても興味深いものでした。
今回の講演会の企画を通して、いろいろ大変なことや初めてで戸惑ったこともありましたが、自分の成長につながった部分も多くあると思います。そういった点でも今回講演会に企画委員という形で関わることができて良かったと思います。
(人文学類3年 日本史研究室 佐藤智昭氏)
今回、この講演会に参加させていただき、大変有意義な時間を送ることができました。渡辺先生は木簡の性質や特徴、その利用価値を、普段実際に触れられているからこそ分かる視点で、詳しく教えてくださいました。遺跡の様子や、発掘の状況などを写真を使って説明され、さらに地図と照らし合わせたりもされて、具体的でとても分かりやすかったです。木簡の発掘や保存・解読の大変さやおもしろさを知ることができました。木簡は、その利用方法や記載されている情報だけでなく、どこで発見されたかも非常に重要で、それによって意味合いが大きく変わるのだと知りました。また、既存史料との読み合わせを行うことで、木簡と既存史料の両方に新しい発見がある、ということが非常に興味深かったです。
今回の講演会では、本当にたくさんのことが得られました。その中でも、木簡が歴史を読み解くうえでとても重要な手掛かりになるということを学べたことは、大きな収穫であったと思います。
(人文学類3年 日本史研究室 清水さくら氏)
今回、渡辺晃宏氏による講演会「木簡から」を聞き、木簡についてさまざまな知識を得ることができました。私が渡辺先生の講演のなかで最も興味深かったのは、木簡の洗浄や保存には非常に時間がかかるということです。木簡はナマの史料であり、それを解読し保存するということの困難さを実感しました。
講演会に参加し、今まであまり知識のなかった木簡について勉強する機会を得ることができました。また、今回の講演会では一般の方々の参加も多く、学生である私は参加者の学習の姿勢に非常に刺激を受けました。このような体験をすることができ、実りの多い講演会であったと感じます。
(人文学類3年 日本史研究室 家市佳澄氏)
講演会の様子