課外活動

2014年以前の課外活動はこちらからご覧ください。

2023年度211勉強会(2024/2/11)

 日本近現代史演習(通称近代ゼミ/能川泰治教員担当)では、例年建国記念日である2月11日に「211勉強会」と題し、現代社会の問題を歴史学の立場から考えることを目的とした勉強会を開催しています。
 今年度はテーマを「ウクライナ戦争について考える~歴史学を学ぶ立場から~」に設定しました。2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻(以下、ウクライナ戦争とする)や各国の防衛費増加の流れなど、今後の国際情勢の行く先は不透明な状況にあります。このような現状を前にしたとき、今一度このウクライナ戦争がどのようなものであり、私たちは何をすべきかを考える機会が必要であると考えました。 その際、メインテキストとして明治大学の山田朗先生の論文(「日本史からみたウクライナ戦争―日中戦争との類似性と危険性」(『歴史学研究』、1037号、2023年7月)を取り上げ、議論のたたき台としました。また、後期の近代ゼミで取り扱った明治期の思想家中江兆民が『三酔人経綸問答』を通じて提起したことをふまえた報告も準備しました。
 当日は、実行委員3人(中垣内颯人、大東正忠、栗林尚史)の報告と、その報告レジュメを事前にお見せしてからいただいた山田先生からのリプライをふまえ、日中戦争とウクライナ戦争の比較や『三酔人経綸問答』で得られた視角から、日本と世界各国が今後取るべき方向性や一市民としてできることは何かを主な論点として議論が繰り広げられました。 また今回は、西洋近代史がご専門の金沢大学人文学類の細川真由先生からもコメントをいただき、さらにゼミ受講生以外の学生・院生や社会人の方々にご参加いただき、充実した議論ができました。以下に参加者の感想を紹介します。(人文学類3年 中垣内 颯人)

 今回の211勉強会での報告レジュメを作成する際にウクライナ戦争の背景や経緯を調べ、今まで知らなかった知識を得ることができた。また211勉強会では多くの質問が寄せられ、活発な議論になったと感じた。その中で厳しい指摘がありながらも自分の言葉で応答することで、自分の考えを深めることができた。ウクライナ戦争に対して我々に何ができるのかという問いは難しいが、211勉強会のような議論の場を設定し自分の意見を述べ合うことが重要だと改めて思った。(人文学類2年 栗林尚史)

 現在、ウクライナ戦争や台湾有事への危機感から、日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えている。私自身、かねてから安全保障関連には関心があり、今回は実行委員として『三酔人経綸問答』の内容を踏まえ日本の安全保障政策について考察し、発表した。  発表の準備や当日の発表を通じて感じたことは「現状を正しく把握する」という点が安全保障を考える上で最も重要であるということである。現代の戦争では「情報戦」が大きな役割を果たすなか、それに対する日本の対応は明らかに不足しているといえる。そのような中で軍備拡張や自衛隊配備を行っても、ただ単に他国との緊張を高めるだけではないのかと強く感じた。また「情報戦」には国民が利用され、その犠牲になるのもまた国民であるといえる。そうした意味で私たち国民も、SNSやメディアを通じて日々大量の情報にさらされているのであり、それらの情報を冷静に見極め、正しい情報を選び取る力が求められているのではないだろうか。(人文学類3年 大東正忠)

金沢城スタディツアー(2023/10/30)

2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その見学実習の一環として、10月30日に恒例の金沢城スタディツアーを行いました。今年はコロナ禍以前のやり方を復活させて、能川教員が担当している日本史概説の授業でも参加を呼びかけました。さらに、今年の4月から本学大学院博士前期課程に社会人入学をされた、金沢城調査研究所の石野友康さんにも参加していただき、解説をしていただきました。日差しがまぶしく感じられるほどの心地よい秋晴れの空の下、石川門の見学から始まって金沢城と兼六園の各見学スポットをめぐり、充実した一日を過ごすことができました。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

今回の金沢城スタディーツアーでは、近世における金沢城の機能と近代以降の活用のされ方について学んだ。中でも特に印象に残ったのは、石垣についての説明である。私は見学や授業の前から野面積と切石積の存在ぐらいは知っていたが石垣の表面だけでなく奥行きにまで注目してみたことは無かったため、大手門での縦長の石垣の紹介には衝撃を受けた。また、高石垣の建設をめぐる利長・利家間の対立も江戸時代直前の時期でも人によって石垣に対する価値観が異なり、正解の積み方が定まっていない事には驚いた。兼六園については、授業で触れられたこと以外にも、池に水を引くシステムの話など授業では聞くことができなかった話を聞いて現代でも使われているサイフォンの原理が江戸時代に運用されているのには感心した。私は以前に金沢城にも兼六園にも行ったことがあるが、ここまで詳細な知識を得ながらの見学は初めてであり、新しい知識を得ることができて面白かった。(人文学類2年 中野慧)

今ある建築物・文化の軌跡などを知るのが好きで、今回イベントに参加しました。特に、最後の水源の話は自分の視点になかったものだったので興味深かったです。今まで犀川、金沢城、兼六園、玉泉院丸庭園、尾山神社と、それぞれを別個として捉えていたのですが、水流で繋がっている(しかもそれが目に見える)ことに感動しました。玉泉院丸庭園は陸軍が潰してしまったとのことでしたが、水流もそこで堰き止められていたということでしょうか。県外から金沢に来て数年、多くの地元の友人を観光案内してきましたが、今日やっと金沢を俯瞰してみることができた気がします。それぞれ個別で歴史を形成してきたわけではなく、金沢全体、ひいては日本、世界がかかわって今の形になっていると感じることができました。(経済学類4年 正木真優)

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戦争体験継承セミナーを開催しました

能川泰治教員が担当する授業「歴史学と現在」と近代ゼミの一環として、2023年7月14日に戦争体験継承セミナーを開催し、そのニュースレターを発行しました。ニュースレターをご覧になりたい方はこちらをクリックしてください。

平瀬直樹先生退職記念行事(2023/3/11)

 2023年3月11日に日本史学研究室卒業生主催の平瀬直樹先生の最終講義が開催されました。最終講義は対面形式とオンライン形式で実施され、卒業生を中心に、現役の学部生・院生や他の研究室の先生方も加わって参加者は80名近くに上りました。先生は『日本史における権力と宗教』というテーマのもと、積み上げてこられたご自身の研究をまとめられました。あらゆる階層が権力主体になり得たこと、その権力が宗教とそれぞれどのような関係にあったのか、等について興味深いお話をお聞きすることができました。また、依然として現代社会の中にも存在する権力と宗教の諸問題について、数多の情報に踊らされず自分の目と耳で判断していってほしいというお言葉には、今を生きる当事者としての自覚を刺激されました。(人文学類3年生 和田滉)

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2022年度211勉強会(2023/2/11)

 2023年2月11日に「211勉強会」を、ズームによるオンライン研究会方式で開催しました。近代ゼミでは、毎年授業の一環として歴史学が直面している問題について勉強すること、また現代的な問題を歴史学の観点から捉え直すことを目的としてこの勉強会を開催しています。
 今年は「戦争のリアリティを語り継ぐ~一農民の日記・記録とその語り継ぎ活動~」と銘打ち、戦争を知らない世代が増え、記憶の風化が叫ばれる現代において、戦争に関する記録をどう捉えていくべきか、またそれらを含めた戦争の記憶をどう語り継ぐべきかについて議論しました。その際、福井県の農民から従軍した山本武の残した『陣中日記』、『従軍記録』を題材として扱いました。
 議論のたたき台となる発表では、211勉強会実行委員の洞口英己が議題の趣旨説明、『日記』・『記録』の概要を説明したのち、角井元が戦争の記録をどう読むのかについて、戦争の持つ2つの側面(残虐行為、通常の戦死)について発表をしました。次に、洞口が関連報告として、教員を目指す立場からの継承活動について考えを述べ、最後に富樫洋乃輔が戦争体験をどう継承するのかについて発表をしました。
   今年は、山本武のご子息で語り継ぎの活動をされている山本富士夫さん・敏雄さんや新聞記者の藤共生さんに御参加いただいたほか、他学類生や在学生以外の方などゼミ受講生以外からも多くご参加いただき大変活発で充実した議論となりました。以下に参加者の感想を紹介します。
(人文学類3年生 洞口英己)

 私の祖父は鯖江市平井町出身で、山本武さんと同郷です。そのような凄惨な体験をした方がいたことを初めて知り、今まで慣れ親しんできた町が全く違うように感じられました。若い世代にとって「戦争」が教科書の中の出来事になりつつある今、自分たちの地域の記憶から目を向け、驚きや関心を積み重ねていくことが、戦争の過去を自分事として捉える第一歩となると考えました。勉強会で最も印象に残っているのは、「戦争の歴史とその責任を明らかにすることは、これからの平和と民主主義をつくる力となる」という言葉です。世界では紛争が相次ぎ、日本の安全保障政策も転換点を迎えています。そのような先の見えない現代だからこそ、戦争体験を学ぶことの意義を改めて実感しました。今ある平和を守るためにも、これからは戦争の歴史やその悲惨さを学び続けると同時に、その教訓を受け止め、まずは自分のできることから行動に移していきたいと思います。(国際学類4年生 山﨑響子)

 まずは、山本武という第2次世界大戦を生き抜いた一兵卒が著わした手記から、戦争の“実態”を抽出した学生達の努力に対して敬意を表したい。学生らは史料と史料の間に存する相違に敏感であり、ここから見える一個人・武の心情の変化、戦後世代が取り組むべき戦争体験継承活動の意義について丁寧に論じることができていたと思う。特に興味深く感じたのは、狂虐と笑いは共立するということだ。武が戦争における残虐性を述べると同時に戦地での笑い話を挿入している様子は、先日観たウクライナ戦争のドキュメンタリー中に出てきた、戦争で夫を亡くして亡命先のドイツで子どもを育てる女性がインタビュー中に垣間見せる笑顔や、これを見終えたあとに湧いた行き場のない公憤を晴らそうとYouTubeのおもしろ動画に逃避する自分の感情と、色彩の濃淡こそあるが重なり合う部分もあるのではないかとふと感じた。狂った世界とそこからの束の間の離脱は両立しうるのだ。(人文学類4年生 松山創一)

金沢城スタディツアー(2022/10/28)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月28日には恒例の金沢城スタディツアーを復活させました。一昨年の2020年は新型コロナウィルスの感染拡大のためにやむなく中止しましたが、昨年度からは参加者を日本史学の学生のみとし、参加者全員がマスクを着用するなどして感染拡大予防に留意したうえでの限定開催というかたちで実施しました。日差しがまぶしく感じられるほどの心地よい秋晴れの空の下、石川門の見学から始まって城内の各見学スポットをめぐり、最後は兼六園内の明治紀年標や曲水の水源も見学しました。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

 スタディツアー全体を通して1番感じたことは、金沢城をはじめとした歴史的・文化的な建造物や施設を訪れた際に、その対象をよく観て、人から話を聴き、それが今在る形にいつどのような経緯で成立したか、当時の人がどのような考えや姿勢をもって向き合っていたのかに思考を巡らせることの重要さである。本丸東面の石垣は、前田利家の命を受けた利長によって普請が始まったが、利長には荷が重いと判断した利家が城作りの専門家を金沢に送り、小縁と呼ばれる段を付ける形で完成させ、金沢城が政府の軍事拠点として利用された後の時代に崩落した石垣が陸軍によって修復されたという経緯があるため、その石垣の上2段は明治期に、上から3段目は藩政時代のものだという事実、加えて現在多くの観光客で溢れる石川門は当時の人の認識では勝手口に過ぎず、江戸にある加賀藩邸(現在の東京大学本郷キャンパス)へと続く北国街道の近くに位置する大手門が正式な玄関口であるということは、ただ対象を見聞きして情報を得るだけでは知り難いものであり、かつての自身がそうであったように、なんとなく(または知った気)で訪れることは大変“もったいない”行為であったと実感した。ただ、実際にはこうした思考を常に持ち合わせて歴史的・文化的建造物や施設に訪れることは難しく、訪れるのが億劫になってしまう弊害も考えられるため、そのあたりは各自うまく折り合いをつけ、何よりも楽しいと思うことが肝要であるとこのスタディツアーを経て学んだ。 (中垣内 颯人)

今回のスタディツアーで特に印象に残ったのは、金沢城には加賀藩の頃の記憶ばかりが眠っているわけではないのだということです。陸軍が駐留していた頃の建物やトンネル、金沢大学があった頃の植物園などが今でも残っていて、意識して見てみると金沢城には近代の記憶がたくさん詰まっているのだと実感しました。私は漠然と、加賀藩の頃の金沢城が完全に復元されたら魅力的だなと思っていたのですが、能川先生の「近代の建造物もまた時間が経つにつれ遺産になっていく」という言葉を聞いて、文化財を残すということの難しさを感じました。また、加賀藩の頃の金沢城と言っても初期に天守が焼失してしまったり、度重なる大火によって焼失と再建が繰り返されたりと、どの時代の状態に復元するかは難しい問題だと学びました。
 金沢で生まれ育った私にとって、金沢城公園や兼六園はとても身近な場所です。慣れ親しんだこの空間に、こんなにもおもしろい歴史がたくさん詰まっているのかと、魅力を再発見できる絶好の機会になりました。また、自分の足で歩き、自分の目で見て学ぶことの楽しさを実感することができました。これからも身近な場所から馴染みのない土地まで、積極的に経験することを通じて歴史を学んでいきたいです。 (本多 美咲子)

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2021年度211勉強会(2022/2/11)

 近代ゼミでは、毎年建国記念の日とされている2月11日に、授業の一環で、歴史学が直面している問題について勉強すること、また現代に存在する問題を歴史学の観点から捉え直すことを目的として「211勉強会」を開催しています。この勉強会ではゼミ受講生に限らず、他学類生や専門分野配属前の一年生からも広く参加を募り、テーマに対する活発な議論を行っています。
 今回は「傷痍軍人から考える福祉~現代コロナ禍の福祉を見つめて~」と銘打ち、北村洋子「「傷ついた父親」は家族の扶養者たるか―第二次世界大戦後西ドイツの戦争障害者援護―」(川越修編『歴史のなかの社会国家 20世紀ドイツの経験』、山川出版社、2016年)と藤原哲也「戦争と障害者の家族 傷痍軍人の妻の視点からの戦後史」(山下麻衣編『歴史のなかの障害者』、一般財団法人法政大学出版局、2014年)をテキストとして取り上げました。今回の勉強会では、日本の事例だけでなく、ドイツの事例を踏まえたものとなっており、日本史・西洋史の横断を図ったのは一つの重要なポイントだったように思います。
 当日は日本・ドイツの比較を通じて、日本社会の福祉のあり方をさぐる議論が繰り広げられました。ドイツの事例では、積極的な支援策のもとで傷痍軍人に就労を促すよう動き、長期的な支援が行われていたことがわかりました。一方で、日本の場合は支援金を渡すといった経済的な援助で、ドイツに比べると短期的な支援政策という理解が得られました。私は、ドイツと日本はともに戦争に敗退した事実を共有しているため、戦争を想起させる傷痍軍人への支援はどちらとも消極的と思っていました。しかし、ドイツは非常に手厚い支援を行い、傷痍軍人の社会復帰を目指していた点は印象深かったです。
 今回の企画と報告は、歴史学の視点から日本のコロナ社会での福祉のあり方を探る一助としたものです。傷痍軍人を事例に取り上げるのが妥当かどうかといった反省点はありますが、それでもやはり現代社会を「見つめ」たことは間違いありません。“今”だからこそ福祉のあり方を問う意義がある。歴史学的アプローチはその一つの答えを示してくれるでしょう。今回の企画で、私も含め参加者にとって福祉について考える何かのきっかけとなったことを祈ります。
 以下に報告担当者の感想を掲載しますので、ご覧ください。
(大学院博士前期1年 𠮷田 航志)
 211勉強会の準備・本番での質疑応答を経て、福祉や自分の役割への考えが深まったように感じた。参加者の方々の意見を聞く中で、労働を生きることの条件のように捉えてしまっていたことや、自分が注目していた人たち以外への注意が不十分だったことに気づけた。一人で調べて考えるだけではわからないことを、幹事のお二人や先生、参加者の方から沢山教えていただき、とてもありがたい機会だった。
 準備段階から何度も頭を過ったことは、自分が福祉をテーマに勉強しているこの時に、今晩寝る場所やご飯に困っている人が多くいるということである。このテーマを、大学に来られる程恵まれている自分が暖かい部屋の中で勉強するのは空しいことにも感じられたし、炊き出し等のボランティアをした方がずっと良いようにも思えた。しかし、勉強会(特に質疑応答)で自分の考えの未熟さに気づけて知識や考えも深まったため、実際に行動を起こす前に必要な作業であったとも思われる。難しいことではあるが、勉強しながら、自分にできることをしていければと思う。
(人文学類3年 河本 幸子)
 今回の211勉強会では、「福祉の複合体」について考えることができた。日本とドイツにおける戦後の傷痍軍人問題をとりあげたわけであるが、両者に共通していることは十分な公助を受けることができず、また、社会が傷痍軍人を特別扱いすることを拒んだことである。この点について、私たちは現在のコロナ禍での飲食店の状況と重なるところがあると考えた。この考え方について、211勉強会では多くの賛成を得られたのでよかった。また、211勉強会には他分野の教員・学生、留学生が参加してくださり、ゼミの中だけでは出てこない意見を聴くことができた。傷痍軍人という一見、過去の出来事のように思われることでも、「福祉の複合体」を考えるうえではよい例であったのではないかと感じた。(人文学類2年 萩野 喜登)

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2020年度211勉強会(2021/2/11)

 通称近代ゼミでは、建国記念日とされている2月11日に授業の一環として211勉強会を開催し、現在の歴史学が直面している課題について考える場としています。2020年度は、やはりコロナ禍の問題は外せないということを私の方から提案し、受講生と相談した結果、コロナ禍に類似する歴史的出来事としてよく引き合いに出される、100年前の俗称「スペイン風邪」(以下、スペイン・インフルエンザ)の流行をテーマとしました。具体的には、この石川県(特に金沢)のスペイン・インフルエンザ流行について当時の新聞記事を手分けして集めることとし、⑴スペイン・インフルエンザに関する研究成果の概要、⑵新聞記事からわかることの概要、⑶コロナ禍に対して歴史学ができることに関する学識者の提言という三つのテーマについて、それぞれ西岡芽生、加藤さらら、大木紗英子の3名が基調報告を担当し、ゼミ担当教員である能川からのコメントを経て、参加者全員で討論をしました。また、この勉強会では従来から参加者をゼミ受講生に限定せずに、他専攻・他学類・教員にも参加を呼びかけてきていましたが、今年はゼミ受講生のほかにも複数の参加者を得ることでき、活発な議論が展開されました。以下に、当日の参加者の感想を紹介します。(能川泰治)
 祝日という事で、建物ロックアウトの可能性に備え、あらかじめ能川先生には人文棟入り口でお待ち頂いた。約束より5分ほど遅れたが、何とか13時前には302教室に入る事が出来た。久しぶりの教室は、環日本海地域論の授業などでも使った教室で、6年ぶりか懐かしかった。ゼミという事であったので、もう少し小さな教室を想像していたが、コロナ対応という事であろうか、X印が真ん中に表示された長机は新奇な印象であった。
 ゼミの進行は多分、能川先生と3人の学生たちとの打ち合わせが良くなされていたのであろう、持ち時間内にすべての報告がきっちりとなされ、それぞれの報告に10分から20分の充分な質問時間が設定されていた。冒頭に能川先生から、教員からの話題提供という事で、与謝野晶子の「感冒の床から」というエッセイと米澤弘安(加賀象嵌職人)の当時の日記が紹介された。強調されたのは、当時の「スペイン・インフルエンザ」をどのように受け止めていたのかという「疾病観」をしっかり理解するという事であった。
 第1報告者の西岡さんは、当時の角力風邪という呼び名や、軍隊風邪という呼び方なども紹介され、新鮮であった。そもそも、当時には世界的にはスペイン風邪という呼び名こそあれ、インフルエンザ(Flu)という認識はなく、紹介された当時の資料では圧倒的に「流行性感冒」の用語であった。マスクの励行は有益であったが、手指の消毒は行われておらず、注射された予防薬は、インフルエンザ・ワクチンのようなものではなく、「無意味な政策」であったという指摘は重要である。
 第2報告の加藤さんは、当時の「北國新聞」の記事を利用し、1918年6月から始まる軍隊での流行や、流行性感冒の予防策、済生会の施設、などを紹介し、とりわけ第9師団下の各連隊における流行の状況なども具体的で説得力があった。また、第1報告とも関連するが、初年兵と流感予防の記事【1920年5月14日付、北國新聞】で、入営前の予防注射励行にどのような意味や効果があったのか、さらに検証が行われれば興味深かったと思われる。
 第3報告の大木さんの報告は、歴史学研究会の『コロナの時代の歴史学』【2020年、12月】から、4編の論文を選んで論評を試みたものであるが、相当に力のいる仕事であったろうと思われる。小生自身がこの4論文をちゃんと読んでおらず(コピーだけはしたが)、最後の「パンデミックとジェンダー分業-共同体の公正な存続のために」(小田原琳論文)を取り上げてジェンダー分業の暴露だけしても意味があるのかという批判を私が行ったことに対して、能川先生からイタリアではジェンダー分業の流れで、結局はそのことが家庭内労働を補助する女性に押し付けられ、さらには移民労働者に押し付けられているという反論が行われた。
 本来なら歴史学の任務は、現実暴露なのか、それとも現実変革なのかという深刻なテーマに対して、EHカーのいう所の歴史学が行う「過去と現在との対話」の有意味性が問われる事柄であろう。最後の30分は「家庭の事情」(洗濯物の取り入れ)から早退して自由討論に参加できなかったことをお詫びします。
(鶴園 裕/朝鮮史研究会(会長)、金沢大学元教授)

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2019年度211勉強会(2020/2/11)

 近代ゼミでは、毎年建国記念の日とされている2月11日に、授業の一環で、歴史学が直面している問題について勉強すること、また現代に存在する問題を歴史学の観点から捉え直すことを目的として「211勉強会」を開催しています。この勉強会ではゼミ受講生に限らず、他学類生や専門分野配属前の一年生からも広く参加を募り、テーマに対する活発な議論を行っています。
 今回の企画担当者であった私は「ポピュリズムから見る戦争への道」をテーマに設定し、筒井清忠著『戦前日本のポピュリズム』(中公新書、2018年)をテキストとして取り上げました。日比谷焼き打ち事件から太平洋戦争に至るまでを「ポピュリズム」という一つの視点で捉え直すという本書の取り組みは興味深い内容でした。軍部の暴走と一般的に捉えられる開戦までの道のりを、当時のマスメディアの世論形成とそれに付随する国民感情に焦点を当て、世論が政治・軍部を突き動かしたとする主張は、戦争責任を考える上での大切な視点ではないかと感じました。
 一方で筒井氏の考える「ポピュリズム」概念の曖昧さや、現代の問題として「ポピュリズム」の捉え方については深く議論がされました。特に後者については、政治的無関心が国民に聞こえの良い政策を標榜するポピュリズムへとつながるのではないかと私は考えていましたが、議論では、経済的な不安定さから来る閉塞感が現状の政治に対する不信感へと繋がり、既存の政治を変革する手段としてのポピュリズムが一部で支持される傾向にあるのではないかという見方も示されました。経済的な不安定さは恐慌が起きた戦前と類似する点でもあり、そういう背景からポピュリズム的な政治家が出現するのはある意味典型的なのではないかと考えさせられました。
 今回の企画と報告を担当して、改めて過去と現在の問題を考え直すことができたのは貴重でした。歴史学がどのように現代へアプローチしていくことができるのか、という姿勢を今後も模索してみたいと感じました。(武藤圭吾)

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金沢城スタディツアー(2021/10/29)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月29日には恒例の金沢城スタディツアーを復活させました。昨年は新型コロナウィルスの感染拡大のためにやむなく中止しましたが、今年は参加者を日本史学の学生のみとし、参加者全員がマスクを着用するなどして感染拡大予防に留意したうえでの限定開催というかたちで実施しました。日差しがまぶしく感じられるほどの心地よい秋晴れの空の下、石川門の見学から始まって城内の各見学スポットをめぐり、最後は兼六園内の明治紀年標や曲水の水源も見学しました。途中の河北門では同行してくれた院生の𠮷田航志さんに前田利家と佐々成政との末森合戦について解説もしていただきました。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

 スタディツアーに参加して、金沢城や兼六園についての詳しい説明を聞き、いろいろ学ぶことができたので非常に勉強になりました。話に聞いたり座学で勉強するだけでなく、直接見て感じて学ぶことができてとても面白かったです。石川門を通ったことはあったけれど、その形状の意味や様々な仕掛け、造りなどに意識して見たことはなかったのでとても面白く、初めて知ることに驚きがたくさんありました。また、石垣についても積み方や石の切り取り方などに着目して見たことがなかったので勉強になりました。石垣について、崩落事故の後、軍隊が三段にしてしまったということも初めて知りましたが、その頃にはすでに、段を作らずに元のように高く石垣を積み直す技術があったはずなのに、なぜ三段にしたのか気になりました。また、史跡保存について考えるということを身に染みて感じました。史跡保存の問題についてこれまで考えたことが無かったので、新鮮で興味深く感じました。昔実際にあったのだから復元すればよいのではないかと安易に考え、実行してしまうと近代に建造されたものを壊すことになるという問題もあるということに目を向けたことが無かったので、これからこういうことも考えていきたいと思いました。(岩佐 帆花)

 まず城廻りは小学校時代は家族旅行の度に行ってましたが、高校時代以降だと勉強やコロナで行けなかったので久しぶりにゆっくり城が見れて単純に楽しかったです。江戸期らしい非常用以外景観のため閉じた狭間、利家時代のバラバラな石の配置の中に不思議な調和を感じる野面積み(十年前はその名称で学びました)を見ると懐かしさが感じると同時に、先生の解説で城の防御における重要な役割を再確認することができました。新しい学びといえば、まず〇の丸の意義と配置の妙や辰巳櫓跡関連が挙げられます。そして何よりも安土桃山時代の文化財とされやすい城ですが、実際は金沢城を例に出すなら、江戸時代の藩都としての機能、帝国時代の師団の拠点としての機能、戦後の教育拠点としての機能が別々ではなく、時間軸を基軸に同時に重なっている様が肌で感じられ、スタディツアーの目的である日常風景の中に歴史の跡を見つける感覚が理解できた気がしています。(大久保 航)

 金沢城スタディツアーに初めて参加して、今まで知らなかった金沢城や金沢の歴史の一端を垣間見ることができた。一年前にも金沢城や兼六園を訪れたことはあったが、なんとなく回ってみて概観しただけで、例えば石川門一つをとってみても狭間がついていてそこから敵を狙い撃ちすることや石落としが取り付けられていること、さらには実は石川門は正面玄関ではなくいわゆる搦め手門であることを一年前の私は知らなかったので、とても驚くと同時に自分の知識の浅さを思い知った。もちろん大手門や植物園や辰巳櫓など初めて訪れた所もあった。とりわけ陸軍が造ったトンネルや旅団司令部庁舎について、概説の授業で陸軍が使用していたと知識としては学んでいたが実際に目の当たりにするのは初だったので、金沢城が語るのは近世の歴史だけではないのだとあらためて実感することができた。
また、石垣の積み方や石の大きさ、櫓のスケール感など、一見同じものと思ってしまいがちなものでもよく見ると技術の向上が見られたりつくられた時代が違ったりするので、間近で見られたのは非常にいい機会だった。特に、丑寅櫓の下の石垣は解説していただいたとおりたしかに小さめの石で粗めに「野面積み」で積まれていた。辰巳櫓の石垣も学んでからあらためて観察すると陸軍が積んだ段とそれ以前の段の違いを判別できた。他にも石川門の正面と左手を見比べてみると積み方が違ったのでまさに「石垣の博物館」だと感じた。
 今回のように自分の足で歩き自分の目で見ながら学ぶという体験を通して、ただ一つ一つの見どころを見て写真に収めるような観光の楽しみ方ではなく、街道や用水がどのように金沢の街につながっているのか、金沢城や兼六園とかかわりあっているのかなども含めて、金沢城近辺の名所をその歴史と共にそれぞれ関連付けながら学べた。これからも自分で実際に訪れて体験しながら歴史を学んでいく姿勢を大切にしていきたい。(金澤 瑛葉)

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平和町・野田山スタディツアー+金沢城スタディツアー(2019/10/25)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月25日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。
 今年は、近代の軍都金沢の痕跡を探ることを主眼としたため、午前中に平和町と野田山を歩くスタディツアーをオプション企画として実施し、午後に定番の金沢城スタディツアーを実施しました。大変うれしいことに、この見学会には、日本近世近代史概説(国際学類の科目名は日本史概説)を受講している国際学類の学生も参加してくれました。
 午前の見学を開始した当初は、時折雨が強く降りましたので、一時はどうなることかと思いましたが、何とか予定通りの行程を終えることができました。参加者のみなさんは、本当にお疲れ様でした。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

 金沢城スタディツアーに参加し、最も印象に残ったのは、文化財の保存方法についてです。金沢城に関しては、以前天守閣があったという記録があることから、地元の発展のためにも復元してほしいという地元住民の意見があったそうです。最初は私もその意見に何の疑問もなく、むしろあったほうが街のシンボルになっていいのではないかと思いました。ですが、史跡とは、ある時代の様子を再現することに意義があり、歴史上建設されたことがある建物を何でも復元しては、文化遺産としての価値が損なわれることを学び、その考えが変わりました。もしも、1600年代に焼失した天守閣を復元してしまうと、1780年代に建てられた石川門が現存している金沢城は、いつの時代の姿を再現したのか、わからなくなってしまいます。今まで、文化遺産は、何でも復元して問題ないと考えていましたが、その復元されている建物はどの時代のものであるのか、目を向けてみようと思いました。 (国際学類 半田千尋)

 平和町・野田山スタディツアーおよび金沢城スタディーツアーに参加し、貴重な体験や様々なことを学ぶことができた。また、金沢市に在住していても金沢について知らないことはまだまだたくさんあると痛感した。 野田山の墓地では墓碑に刻まれた文字を読む貴重な体験ができた。陸軍の個人墓では個人の死因や死亡場所を、合葬墓では刻まれた文字に注目しながら、時期による墓碑の大きさや区分を確認した。中でも忠霊塔の大きさは圧巻であり、日中戦争以降の戦死者の多さと、そこから戦争の悲惨さが感じ取れた。墓碑は刻まれた文字や、時代背景に注意してみることで様々なことが読み取れることが体験できた。
 金沢城は何回か訪れたこともあり馴染みある場所であるが、先生の解説を聞きながら、門の形状や石垣の時代ごとの積み方の変化など細かい部分にも注意しながら改めて見学すると、金沢城がどのような変遷を遂げたかを見ることができた。こうした変遷のなかで石垣の崩落と陸軍による石垣修復が行われていたことをいまさらながらに知ったので驚いた。こうして修復された部分の石垣は、明治期に修復された石垣として近代の歴史を伝える遺構となっており、安易に修復させてもいけないということを知った。こうした文化財保護の観点からも新たに学ぶことがありとても勉強になった。
 実際に自分で見て体験することで、授業の解説だけでは学べないような、とても貴重な体験をすることできた。 (人文学類 上出大貴)

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講演会

2019年度金大祭日本史学研究室講演会(2019/10/26)
講師 川合康先生

 今年の金大祭では、大阪大学大学院教授・川合康先生をお招きして講演会を開催しました。川合先生は、鎌倉幕府の成立史や院政期武士社会についての研究でご活躍されています。
 今回の講演会では、鎌倉幕府成立年をめぐる様々な説についてその問題点を検討し、そもそも鎌倉幕府はどのように成立したのか、その段階的な過程から、我々が鎌倉幕府成立年についてどのように捉えるべきなのかを学ばせていただきました。重要なのは成立年を一つに絞って授業で覚えさせることではなく、これまでにない新しい軍事権力である鎌倉幕府が持つ特徴や形成過程を深く考察することだと先生もおっしゃったように、歴史教育のあるべき姿や私たちがどのように歴史と向き合うべきかを考えさせられました。私はこれまで鎌倉幕府の成立年についてそれほど考えたことがなかったのですが、何をもって成立とするのかを考える方が大切なのだと気付くことができました。日本史研究室のOB・OGの方も多数参加してくださり、質疑応答も白熱して有意義な時間でした。
(2年生 角地由衣)  

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2018年度211勉強会(2019/2/11)

 近代ゼミでは、毎年建国記念の日とされている2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、福間良明著『「戦争体験」の戦後史-世代・教養・イデオロギー-』(中公新書、2009年)をテキストにして、2018年度後期の近代ゼミで行った、出征経験者のご子息からお話しをうかがう二次証言聞き取りの意義について考えることとしました。 当日は、福間氏の著書を取り上げ、戦争体験を巡る世代間の関係性や政治との関わりなどについて理解を深めました。特に、世代間の認識の違いについて考察を深め、戦争体験は、世代や個々人の間で断絶(≒変容)を繰り返しながら継承されているが、その断絶にこそ歴史的意義がある、ということを確認しました。そして、子が親の戦争体験を語り継ぐ活動にはどのような意義があるのかをめぐって、活発な議論が繰り広げられました。以下に参加者の感想を紹介します。 (石渡利和)

 参加させていただきまして本当にありがとうございました。私にとって多くの方と共同で近現代史の勉強をすることが初めてで、とても緊張しましたが、能川先生をはじめ、ゼミの皆さんが温かく迎えてくださり本当に貴重な体験になりました。ありがとうございました。さて今回の211勉強会に参加しての感想を、以下に簡単に述べさせて頂きます。
 福間良明さんは、「戦争体験」の語られ方の世代間の「断絶」に可能性を見出そうとしているのに対し、私が参加させて頂いた211勉強会では、世代的に「断絶」しながらも親の戦争体験を「継承」しようとしている次世代の人びとの取り組みをどう位置付けるべきかという問題を考えている点が、印象に残りました。特に興味深かったのは、「継承」には国民としての責任も引き継ぐのかという問題です。私自身は引き継ぐべきだと考えました。しかしだからと言ってすべてに対して謝罪すればいいとは考えていません。日本人として、または世界人の中の日本人として正しい行いをしたいと考えるなら、日本の行動に対して正義か悪かの線引きをしっかりと行い、それに基づく範囲内で「国民の物語」に近いような歴史教科書を作り、日本人としての誇りも忘れないようにする必要があると思います(もちろん実証主義歴史学も大切であり、それも含めた大きな意味での線引きです)。その線引きを考えるのは、ある種、近現代史研究者にとっての使命の一つなのかもしれないと考えます。そして、この聞き取り調査こそがその線引きを考える大きな一助になる可能性かもしれないと期待しています。 (信州大学教育学部 松田崚吾)

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講演会

2018年度金大祭日本史学研究室講演会(2018/10/27)
講師 木本好信先生

 今年の金大祭では、龍谷大学特任教授の木本好信先生を講師としてお招きして講演会を開催しました。木本先生は古代史を専攻とされ、とくに古代政治史についての研究を中心にご活躍されています。
 木本先生は、奈良時代後期の称徳・道鏡政権とその実権掌握について祥瑞などの視点から面白く、かつ明快に説明してくださいました。

 自分はもともと称徳・道鏡政権については高校で習う程度の事しか知らず、今回の講演会を拝聴させていただいて、より知見を深めることが出来ました。また、新たな視点から歴史を見る面白さにも気づくことが出来ました。質疑応答も白熱し、大変有意義な講演会でした。(2年 岡崎倖尚)

兼六園スタディツアー+金沢城スタディツアー(2018/10/26)

2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月26日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、午前中に兼六園スタディツアーをオプション企画として実施し、午後に定番の金沢城スタディツアーを実施しました。大変うれしいことに、兼六園スタディツアーでは、兼六園に設置された明治紀念標(日本武尊の銅像)を卒論の研究テーマにしている4年生の湯川尭君が、ガイド役をつとめてくれました。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

私はスタディツアーの午前の部に参加し、兼六園の案内と解説をさせていただきました。卒業論文では兼六園内にある「明治紀念標」を題材として、建設された経緯や目的を研究し、慰霊という目的だけでなく、天皇イメージを浸透させる目的があったことを見出そうとしています。今回のスタディツアーでは卒業論文で兼六園に関する内容に取り組んでいるという縁で、兼六園全体について解説しました。兼六園は現在、美しい景観を持つ観光名所として多くの観光客が訪れる場所となっていますが、歴史を研究する上でも非常に勉強になる場所です。兼六園の曲水や敷地利用の変遷を知ることで、現在の兼六園の姿とは違う一面に気付いてもらえたと思います。  今回のスタディツアーは、解説が未熟な部分が多くありましたが、参加してくださった方にとって勉強になったなら幸いです。また、私自身も質問や意見をいただき、今後の卒業論文を執筆していく上で励みになりました。(4年 湯川尭)

金沢城スタディツアーに参加し、金沢城内の石垣を中心に見学する中で、城の基礎的知識から金沢城の変遷、文化財の保護など幅広い学習ができたと感じた。金沢城を実際に歩くことで郭の高低差や広さを体感し、異なる時代に積み上げられた石垣を目の前で比較したことで、金沢城内の建築物の火災による焼失やその後の再建の有無、さらに再建時に採用された技術などの解説を聞きながら、時代とともに変化していく金沢城の姿をその場でイメージするという貴重な体験ができたと感じた。(2年生 滝沢香織)

 金沢城は兼六園と並んで金沢を代表する観光地であり、特に金沢城の石川門は金沢のランドマークとして市民にも親しまれている。そんな金沢城を今回じっくりとまわりながら築城時から現在に至るまで金沢城はどのような経緯をたどってきたかについて理解することができた。同時に文化財保存の問題についても考えることができた。金沢城は近代に陸軍の師団が置かれ、現代には金沢大学が置かれるなどし、加賀藩時代の城の様相が大きく変わってしまっている。近年藩政時代に存在した建築物の復元工事が重ねられ、近世の城の様相を取り戻しつつある場所もある。しかし、金沢城の石垣の中には明治期に改造された箇所もあり、それを近世のものに復元しようという話も出ているが、改造された箇所を近代の史跡として残さなくていいのかという問題があるということも学んだ。文化財の保存の難しさと、復元は慎重に行わなければならないということを実感した。
(2年生 田中里実)

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2017年度211勉強会(2018/2/11)

 近代ゼミでは毎年建国記念日とされている2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は、参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、平岩俊司『北朝鮮-変貌を続ける独裁国家-』(中央公論 2013年)をテキストにして、「北朝鮮の歴史と現在について考える」というテーマを設定しました。これまでも北朝鮮は国際社会の制止をふりきって、核実験やミサイル発射実験を行い、近隣諸国に多大な脅威を及ぼしてきました。また日本との関係では、拉致問題も長年問題視されています。特に最近では、日本の上空を通過するミサイル発射が頻繁に行われるようになり、北朝鮮の脅威はますます高まっているように感じます。しかし、なぜ北朝鮮はこれほどまで対外的に脅威となってしまったのか、我々はきちんと理解できているのでしょうか。そこでこのようなテーマを設定して、北朝鮮の歴史を理解し、日本は近隣の国としてどう関わっていくべきかを議論していくことにしました。
 当日の発表では、テーマに即した形で第一部と第二部に分け議論を行いました。第一部では平岩氏の著書を取り上げ、金日成の時代から金正日、金正恩の時代を概観し、北朝鮮が対外的に脅威になった転換点について考えました。その中では、主体思想や先軍政治といった北朝鮮の政治の基礎となる概念について議論が行われました。さらに北朝鮮の転換点として、冷戦の終結が一つの区切りになっているのではないかという見解も出されました。
 第二部では日朝の外交関係を冷戦期から日朝平壌宣言まで整理し、歴史家やジャーナリストの日朝関係に関わる意見と合わせて、これから日本が取るべき方針について考察しました。その中で、史料の理解に基づいた意見が交わされました。さらに、北朝鮮と今後どのように関わるべきかを考えることは歴史学に求められていることなのか、歴史学の果たす役割は何か、という議論にまで発展していきました。以下に参加者の感想を紹介します。 (湯川 尭)

「近くて遠い国」といえば韓国の代名詞のようにいわれるが、むしろ北朝鮮の方がこの言葉にしっくりくるだろう。日本にとってこれほどまでに「近くて遠い国」は他にあるだろうか。
1965年の日韓基本条約で日本は、韓国が朝鮮半島における唯一の合法国家であることを認めたので、条約締結後に北朝鮮と日本が国交を結ぶことが法的にできなくなってしまった。韓国が中国やロシアと国交正常化を行ったことで北朝鮮は周辺国との孤立を深めた結果、アメリカに圧力をかけて北朝鮮の体制を認めてもらう必要が出てきた。それが核開発の原因の一つになったと私は理解した。
 北朝鮮がなぜこれほどまでに遠い存在であるのかという疑問は、韓国という存在を介在させることで少し理解できた気がした。 (細川竣平)

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松代大本営見学ツアー(2017/11/3)

 今回、初めての試みとして、長野県長野市松代町にある松代大本営の見学会を開催しました。松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期、すなわち1944(昭和19)年11月11日から1945(昭和20)年8月16日までの約9か月間にわたる、象山・舞鶴山・皆神山の掘削工事によってつくられた、地下壕やその周辺の建設物のことです。この場所に、戦中の最高統帥機関であった大本営や皇居が移転する予定でしたが、実際に使用されることはなく、敗戦を迎えました。
 企画者である堀内が、卒業論文の題材として松代大本営について研究しており、参加者と松代大本営の見学を通して、研究対象への理解を深めたいと考え、見学会を企画しました。また、参加者にとって、アジア・太平洋戦争や、長野という地域の歴史について、少しでも学習できる機会になればと考えていました。
 当日は能川先生、荒木さん、石渡さん、細川さん、宮田さんとともに、秋晴れの心地よい天気のなか見学会を行うことができました。午前中はオプショナル―ツアーとして、善光寺を見学しました。午後は大本営が設置される予定であった象山地下壕と皇居となる予定であった舞鶴山の地震観測所を見学しました。参加者から質問をいただくなかで、松代大本営という戦争遺跡がどのような遺跡であるのか、考察が深まり、研究により一層励んでいきたいと思う機会になりました。以下に参加者の感想を紹介します。(4年 堀内風佳)

 松代大本営という言葉を聞いた時、私は後ろ三文字につられて、松代というのは特別な街だと勝手に思った。しかしいざ松代の地に足を着けてみると、そこは何の変哲も無いのどかな場所だった。故郷との違いは山の大きさくらい、と感じた。また、地下壕の入り口は目立つところにあるのだろうと予想していたが、これも間違い。民家の後ろにひっそりとその口を開けているだけだった。百聞は一見にしかずとは、正にこのことを言うのだ。
 地下壕の中などは実際に入ってみないと、イメージの全てが捏造であることを実感した。例えば、これは現代の状況だが、進入を阻止する柵に折り鶴が吊され、その向こうの暗がりから聞こえる、水の滴る音が死者の涙を連想させたことは、イメージの中に入ることは決して無い。
 だが、再認識したこともあった。それは、当時の上層部は松代の地では結局何も見ることはできなかっただろう、ということだ。あの山に囲まれた場所で見えるのは山ばかり。普段文字ばかり見る私と一緒だ。
 大学生になっても勉強の基本形は座学だが、大学生ならばその自由を生かして何処へでも行くことが肝心だ。そう思わせる大変良い一日旅でした。
 最後に、長野のとろろご飯は最高だ!   (2年 石渡利和)

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講演会

2017年度金大祭日本史学研究室講演会(2017/10/29)
講師 家近良樹先生

 今年の金大祭では、大阪経済大学客員教授・家近先生をお招きして講演会を開催しました。家近先生は、日本近代政治史、特に幕末史研究において活躍されています。
 家近先生は、ご自身の西郷隆盛研究を通じて、史的人物論の難しさと面白さについて説明してくださいました。来年の大河ドラマ「西郷どん」を控え、幕末の英雄として絶大な人気を誇る西郷隆盛の真の人物像について、西郷の内面に迫りながら紹介してくださいました。

 先生のお話を聞く中で、人物史は根拠とする史料の数が少ないこと、人物の内面に踏み込まなければならないことなど、人物史研究特有の難しさを知ることができました。人物史研究を志す学生からの質問も出され、有意義な講演会となりました。
(2年 岡本詩織)

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平和町・野田山スタディツアー+金沢城スタディツアー
(2017/10/27)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月27日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、近代の軍都金沢の痕跡を探ることを主眼としたため、午前中に平和町と野田山を歩くスタディツアーをオプション企画として実施し、午後に定番の金沢城スタディツアーを実施しました。大変うれしいことに、この見学会には、日本近世近代史概説Bを受講している国際学類の学生や留学生も参加してくれました。気持ちよく晴れた秋晴れの空の下、普段何気なく目にしている街の景観に、様々な歴史の痕跡が刻み込まれていることを実感しました。以下に参加者の感想を紹介します。

 私はスタディツアー午前の部に参加し、野田山陸軍墓地の案内と解説をさせていただきました。卒業論文では同墓地内にある忠霊塔を題材として、建設された経緯や目的、国民の建設への動員の実態等を研究し、国民の精神動員について何らかの結論を導き出したいと考えています。野田山陸軍墓地で注目すべきは、やはり対外戦争ごとに建設された合葬碑だと思います。野田山を見ると個人墓碑が多いですが、時代の古い明治期のものなどは手入れもされずに荒廃しています。しかし、戦没者を合葬という形式で合祀することによって、多くの遺族が墓地の清掃や参拝に出向き、永久的に墓域が保たれます。質疑では参加者の2年生から、忠霊塔への献金や隣接する軍人墓碑についての貴重な指摘を受けて、卒業論文執筆の参考になったと感じています。
 今回のツアーは、解説が拙い部分もありましたが、参加者にとって意義のあるものになったと思います。また、私自身も質問や感想を受けて、応答できたこととできなかったことがあったので、卒業論文執筆前の良い機会であったと感じています。(4年 金子凌己)

 平和町・野田山は、いずれも金沢出身の私にとって慣れ親しんだ地名であり、今までも何度か足を運んだ。このスタディツアーで実感したことは「身近な地域にも歴史は根付いている」という、非常に素朴な事実だった。平和町はかつて第九師団兵営の一部などがあり、軍都金沢の機能を担っていた。しかし敗戦後、復員兵などの住宅地として生まれ変わったと学んだ。戦死者の霊を祀る平和神社、戦災孤児の福祉施設から始まった亨誠塾も、戦争の悲惨さを背景としながら、復興を求めた人々の熱意を感じられた。
野田山に登ると、まず戦争による様々な理由で亡くなった方々を慰霊する墓地を見学した。次に、反植民地闘争を起こし銃殺された尹奉吉の暗葬の地を見た。戦争への静かな怒りが湧き上がってくるとともに、20年金沢に住んでそれらを知らなかった自分を恥じた。
 生まれた地域を歩き、歴史という視点で捉え直す体験は案外少ない。歴史研究のヒントを得る上でも、地域を考える上でも、非常に意義のあるツアーだった。 (2年 山下 司)

 バスに乗るとき、金沢城と兼六園の姿がいつも目に留まります。見るたびに、わけもなく感動させられます。しかし、中に入ったことは一度もなかったのです。何も知らないままで入ってざっと見て帰るのが嫌ですから。ですので、能川泰治先生の「金沢城スタディツアー」の話を聞いた後、すぐ申し込みました。参加することができて、本当によかったと思っています。
 午後1時、金沢城。先生は全体の構えから、固い防御工事(狭間、石落としなど)、石垣の変遷まで詳しく説明してくれました。石垣に関わるエピソートも聞くことができました。いつも神秘に見える石垣、今回は違う雰囲気に見えて、親しくなった気もしました。「金沢城の復元」という問題についても自分なりに考えました。 午後3時40分、兼六園。兼六園は前田家が作った庭園だということは一応知っていますが、庭園だけではなく、明治以降、政治に関心を持っている市民は兼六園の中で集会なども行っていたとは思わなかったのです。そして、兼六園の中に流れている水はなんと辰巳用水からだということにびっくりしました。また、明治紀念の標に関する知識も詳しく説明してくれました。その銅像をはっきり観察できるため、先生が重い双眼鏡まで持ってくれたことにすごく感動しました。今も感謝しています。  今回のスタディツアーのおかげで、いろいろと勉強になりました。そして、金沢にも一層の親近感を感じました。
いいね、金沢!(留学生 陳昱維)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2017/8/15~16)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は4名が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。

 2017 年の釜ヶ崎見学は私にとって初の実地調査であったが、知識として知っていたことと見聞して体験したことは明確に異なるということを実感した。日雇い労働者の街、戦後に発生した暴動、あいりん地区としての名称や高齢化、外国人旅行者の増加等といったことは以前から知っていたが、実際に間近で見ると釜ヶ崎という土地の良さや問題点、そしてそれらを発生させた社会のあり方が鮮明に浮かんだのである。大学や大都市の一部分で引きこもっていては理解できない現実が釜ヶ崎にはあった。労働の高度化とコモディティ化がいっそう進むであろう現代において、労働者は今まで以上に忘れ去られる存在となってしまうのではないか。若しくは、行政や他の地区の住民達と断絶していくのではないか。しかしこのような苦悶を抱えつつも、これらや現段階に存在している釜ヶ崎または日本の問題を釜講座や夏祭り・越冬闘争といった行動によって乗り越えようとする姿勢と熱気がそこにはあったのである。
 歴史学においてどのように人へと焦点をあてるかは度々議論になるが、日常生活では対象先という点において、自分と立場の異なる人に焦点をあてる機会はあまりない。しかし歴史を学び日常的に現代の社会について考えるならば、数値やデータ上の人間ではなく生きている人に触れなければ真の理解は得られないだろう。私は今回の見学でこのことを強く感じ、これからの生活と勉学に役立てていこうと思った。
(2年 神部滉陽)

 今回の釜ヶ崎訪問では地域の現状を学習対象とし、二日間の滞在を行いました。
   一日目はツアー形式で地域内を見て周り、現在の釜ヶ崎は諸外国からのバックパッカーを多数受容するとともに、中韓の人々が様々な形式で労働する街に変化しており、これまでの「日雇労働者の街」という単純なイメージで語られるべきものではないことを理解しました。かつては労働者のために機能していた施設の取り壊しなど、釜ヶ崎は変革を続けており、それに伴い浮上する行政の問題など、この地域を取り巻く問題は多く残存しています。この現状に対して地域の人々を強く動かすのは、全国の労働社会の礎を築く存在である日雇労働者軽視への怒りと悲しみである、という印象を受けました。
 また二日目には現地の紙芝居劇「むすび」の皆さんとの交流会があり、活動の場を共有するという体験もしました。「むすび」の皆さんは、紙芝居劇を通じて複数の地域や多数の人々と交流を行っていますが、高齢化の進む釜ヶ崎という地域で暮らす方々にとっては、このような生きがいの創出と地域的・人間的なつながりが必要なのであり、全国的にも決して看過してはならない、という感想を持ちました。
 昨年度に続いて二度目の訪問となりましたが、この釜ヶ崎という地域の持つエネルギーの大きさには依然として驚きを感じています。直接地域の人々と触れ合い、お話を伺ってこそ知り得た事ばかりで、有意義な時間を過ごせました。 (3年 荒木柾人)

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2016年度2.11勉強会(2017/2/11)

 近代ゼミでは毎年建国記念の日である2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、河西秀哉「「新生日本」の出発と皇太子外遊」(『年報 日本現代史9 象徴天皇と現代史』現代史史料出版、2004年)をテキストにして、「現代における象徴天皇像の形成」というテーマを立てました。昨年8月8日に出された天皇のお気持ち表明以来、「天皇の生前退位」が話題になりました。その中で、現在の象徴天皇制という言葉が新聞やニュースでたびたび出てきました。しかし私たちは、本当に現在の象徴天皇制を理解していると言えるのだろうか、そして現代の歴史学においてもこの現代象徴天皇制はどのように形成されていったのかを本当にわかっているのかというような疑問を抱いたため、今回はこのテーマにしました。
当日は、ゼミ受講生である市本大貴、金子凌己、中村圭佑、渡邉瑞萌の4人を2つのグループに分けて発表しました。はじめに、市本、中村がテキストを基に、今上天皇が皇太子だった頃の活動に触れ、現代の象徴天皇制の形成過程について詳しく見ていきました。その中では①皇室外交と政治の距離の取り方について、②マス・メディアと天皇制のかかわりについて、の2つの視点を中心に議論が展開されました。
次に、金子、渡邉が「天皇のお言葉」や、日本国憲法の天皇にかかわる部分を取り上げ、非常に曖昧である現在の象徴天皇制について発表しました。この中では、象徴天皇制はこのように当たり前のようになっているが、なぜなのかといった疑問が飛び交うなど活発な議論が参加者の間で行われました。
以下に、参加者の感想を紹介します。 (3年 渡邉瑞萌)

今回の211勉強会は象徴天皇制と生前退位についてということで、非常にタイムリーな話題であり、私自身、今なぜこんなに今上天皇の生前退位で揉めているのかという問題の根本をあまり詳しく理解できていなかったので、大変興味を持って参加させていただきました。
この勉強会を終えて、私が現在の天皇制について思ったことは、この制度はまだ誕生してからが若く、まだ確固たる基盤のない未完のものであるということです。皇室典範において天皇の生前退位を認めないことになったのが明治の始めから、そして事実上の象徴天皇制が始まったのが、今上天皇からです。先例が少なすぎます。正直宮内庁も内閣もどうしたらいいのかわからないというのが実際のところでしょう。今上天皇がどう退位なさるのかが、今後の天皇制の基準になる節もあるので、今回生前退位を「特例」とする一種の「逃げ」を選んだことはあまり良くないのではと私は思いました。
このようにじっくりと一つの問題について考え、自分の意見を持つというのはなかなか日常生活ではできないことですので、この勉強会は大変良い機会となり、楽しませていただきました。ありがとうございました。
(人文学類1年 平井遥佳)

皇族は日本人にとって常識的なものである。しかし皇族や天皇の社会の中での役割や位置づけ、または歴史の中での位置づけはさほど明確ではないだろう。私自身これ等のことに関して明確な知識を持っていないこともあり、今回の2.11勉強会に参加させて頂いた。
発表を聴いた上で印象的だったのは皇族と政治との距離の近さである。皇族に参政権がないことは周知の事実であるが、それに反して皇室外交という形式で非常に政治的な役割を果たしている事実は覚えておくべき点であると感じた。
一方で、発表内では天皇制は肯定的に捉えられていたが、その点に関して私は懐疑的である。現在の天皇制には、天皇が国民の象徴でありながらも参政権やプライバシーの権利を持たないという矛盾が容易に見出されるだろう。また、発表内では触れられていなかったが、皇族の宗教的特性も考慮に入れる必要がある。政教分離の問題だけではなく、歴史的に宗教的意味合いを持った人物が国民の象徴であるというのも、不自然ではなかろうか。
日本史学の研究は私自身の専門とは離れているが、これらの問題は日本に生きている人々にとって共通の課題であり、周知をはかっていくべきだと感じた。
(金沢大学大学院 人間社会環境研究科 人文学専攻(哲学)1年 齊藤 嘉生)

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沢山美果子先生をお迎えして勉強会を開催しました(2016/9/6)

 金沢大学日本史学研究室では、毎年夏季休業中に学外から先生をお招きして集中講義を行っていただいています。今年の集中講義には、岡山大学客員研究員でいらっしゃいます、沢山美果子先生をお招きいたしました。
 沢山先生は、日本近世・近代における女性史・ジェンダー史を専門になさっています。「子どもは母性愛を持つ母親に育てられるべき」という常識は、いつから常識になったのかという問いを出発点として、近代家族について研究を行い、近代の家族・女性を相対化したいという考えから、近世のご研究もされています。
 集中講義に先生をお招きするにあたり、近代ゼミ受講生の担当者が中心となり、事前に2回の勉強会を開催いたしました。
 1回目は、沢山先生の論文である、「近代家族と子育て・再考」(『歴史評論』684号、2007年)を取り上げました。論文執筆当時に先生が抱いていた問題意識、そして今後の課題をよく理解することが出来ました。2回目は、2013年に刊行された先生の著作である『近代家族と子育て』(吉川弘文館、2013年)の読書会を行いました。企画した近代ゼミの担当者以外にも、他の時代を専攻している学生も多く参加し、活発な議論がなされました。そして、勉強会の中では、どうしても解決できない疑問が生まれ、直接沢山先生にお聞きする機会を設けたいということになり、集中講義1日目の授業終了後に、先生をお招きして勉強会を行いました。論文・著書をお書きになった先生に、直接質問をさせていただくことはとても貴重な体験で、中身の濃い議論が行われ、収穫の多い勉強会になりました。
 これらの勉強会で得た知識をもとに、集中講義ではさらに詳しく性・生殖の歴史について学ぶことが出来たと思います。勉強会に快く参加していただき、私たちのためにご尽力頂いた沢山先生に、感謝申し上げます。ありがとうございました。
(3年 浅香万由子)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2016/8/14)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は3名が参加しました。8月14日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。


 今回の釜ヶ崎見学で自分を顧みることができた。僕が釜ヶ崎見学を希望した理由は過去に同じ大阪で下層の生活を送った経験があり、大学生となった今、それを客観的に見てみたいと思ったからである。見学会を経て感じたのは当事者であるホームレスなどの人たちや自分たち部外者も現状を知らなすぎだということである。釜ヶ崎地区を取り巻く事情は刻々と変わっているのに(西成特区構想、民泊など)それらはあまり知られていなく、得をする人とそうでない人に分けられていた。この街には自己責任という言葉が付きまとうがその一言で片付けていいのか?知らなかったで済まされるのか?といった考えにいたった。しかしそんな中でも夏祭りの屋台でのやり取りの人間臭さ、名も知らない人を悼むという人情、それらは再開発の進む大阪、ひいては日本において忘れてはいけないものなのではないかと気づかせる見学会であったと思う。
(4年生 伊藤尭)

 今回の見学会では釜ヶ崎の地域内をツアー形式で見て周りましたが、街全体の建築物や施設から窺える暴動の痕跡に刻まれた人々のエネルギーの大きさに驚く一方で、これからの釜ヶ崎に対する強い不安感も感じました。近年は生活者の高齢化による福祉マンションの建設や、民泊という新たな宿泊形態の実施により街は変革期を迎えましたが、先行きは不透明です。また、再開発を理由に学校の近くに交番が新設され、監視カメラが増設される等、行政と生活者の心の乖離が浮き彫りになっているのが現状です。ツアー内で語られていた「釜ヶ崎は人々の最後の受け皿である」という言葉の重さを再度考え直す必要性があるのではないか、と感じました。
歴史学を専攻している身からしても「日雇い労働者」という時代を通じて軽視されがちな人々の生活に根付く問題を、文献ではなく直接見聞きする貴重な体験になりました。ありがとうございました。
(2年生 荒木柾人)

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野田山見学会(2016/4/25)

 4月25日(月)に、近世史ゼミと近現代史ゼミの合同企画として、野田山墓地の見学会を行いました。野田山は、金沢市街の南部に位置する標高175・4メートルの高台で、古くから葬送の地として利用されており、近世には前田家の歴代藩主とその一族及び家臣と有力町人の墓地として利用され、明治以降は陸軍の軍人墓地としても利用されてきました。よく晴れた空の下、上田・能川両教員の説明を聞きながら、墓碑の配置・形状や刻み込まれた文言などをじっくりと観察し、なぜここにこのような墓所があるのか、墓所から何がわかるのかを考えてきました。以下に当日の参加者の感想を紹介します。

 

 近代ゼミと近世ゼミの一環として野田山墓地を見学しました。石川県戦没者の墓地は戊辰戦争から太平洋戦争までの墓碑が並んでおり、共同墓碑の大きさや合葬碑の分けられ方が時期によって違っていたのが印象的です。石碑の細かい文字なども確認できました。またロシア人墓碑や、在日韓国人によって作られた朝鮮人独立運動家の記念碑などもあることを知りました。戦没者墓地には日本人のお墓だけがあるものだと思っていたので意外に思いました。
前田家の墓地では、大きく土が盛り上がったようなお墓が一人に対して一つあり、江戸時代の殿様やその奥方様のお墓にはこのようなものがあるのかと、実際に見てみて初めてイメージができるようになりました。お墓の前には鳥居があり明治時代に神式に改められた跡がわかりました。今回の見学でそれぞれの墓地を自分で見て確かめることができ貴重な経験になりました。
(2年 小泉美乃里)

 私は今回初めて野田山墓地見学に参加させていただきましたが、近世から近現代に至るまでの「慰霊」の空間というものに触れることができたように思います。
 まず、時代や埋葬者・慰霊者の身分に関わらず、その数の多さとそれらが同じ空間にあることに驚きました。私の地元では自然災害の犠牲者のための慰霊碑などを見ることがあっても、大名家など有力者の墓地を目にする機会はありませんでした。そのため大名家の墓地といえば、寺社に納められているか、隔離された「神聖」な空間に厳かに埋葬されているイメージを持っていましたので、戦没者慰霊碑や他の身分の墓地と同じ空間にあるということが非常に不思議に感じられると同時に、実際に歩いてみると思っていたよりも自分との距離がずっと近いという印象を受けました。
 また、陸軍戦没者墓地は広場のような空間に整然と墓碑が並んでおり、他の墓所とは違う緊張感を感じました。なかでも印象に残っているのは露国俘虜碑です。さほど大きなものではありませんでしたが、日本人戦没者の墓碑と同じ空間にあること、埋葬者個人の宗教に合わせたマークが刻まれていることから、敵兵に対してもまた同じように敬意の心があったことを強く感じました。
 今回、実際に現地を歩くという経験をして、どこまで自分が当時の人々の視線に合わせることが出来たかはわかりませんが、今まで自分が感じていたよりも歴史を身近に感じることが出来たように思います。文献史料などによる知識ももちろん大切ですが、実際に現地を訪ねてみることの必要性を強く感じました。 
(3年 新宮莉央)

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2015年度2.11勉強会(2016/2/11)

 近現代史ゼミでは、毎年2月11日に授業の一環として勉強会を開催し、歴史学と現在をつなぐテーマを取り上げ勉強しています。今年は、佐々木隆爾『新安保体制下の日米関係』(山川出版社、2007年) をテキストにして、「日米安保を考える」というテーマを立てました。昨年夏に可決された安保関連法案と、その際行われたSEALDsをはじめとした抗議活動が世間の注目を浴びました。法案が可決した後もこの法律を批判する言説が飛び交っている中で、一体何が問題視されているのか、そもそも日米安保体制はどのようにして形成されたのかを知る必要があると考えました。そして、歴史学を学ぶ私たちは、こうした現状をどう捉えたら良いのかを考えようと思いました。
 当日は、ゼミ受講生の髙橋香織・浅香万由子・中村圭佑・堀内風佳がまずテキストの内容と、日米安保体制をめぐる歴史学会での議論を紹介し、更に今回可決された安保関連法案やSEALsの活動について報告しました。その後、私たちは安保関連法案とそれをめぐる社会の動きを歴史学の観点からどう捉えれば良いのかという点を中心に、参加者全員で議論しました。今回は近現代史ゼミ受講生以外の学生や吉永先生も参加され、盛んな議論が行われたため、非常に実りある会になりました。(3年 高橋香織)
 以下に、参加者の感想を紹介します。

 今回の211勉強会には、発表者の一人として参加させていただきました。日本史を学ぶ学生として、そして日本人として、向き合っていかなければならない問題について討論することができ、大変意義のある会となりました。
 中学・高校の歴史の授業で、近現代史を詳しく学ぶことが出来ず、戦争の歴史・戦後史から目を背けがちだった私は、今回の題材である日米安保についてほとんど知らない状態でした。しかし、歴史学の立場からこの問題を考えることで、日米安保について理解が深まり、近現代史を学ぶ必要性を感じました。現在と歴史を通して知る過去とはつながっていることに気づかされ、現在直面している問題やこれからの生活を考えるために、歴史を学ぶこと、過去を知ることが大切であると思いました。また、歴史学はどうあるべきかという議論が特に印象に残っています。答えは今すぐに出すことが出来ませんが、日本史を学んでいく過程で考えていきたいと思います。
 日米安保の他にも私たちが直面している問題が多くあるように思います。それらを私たちの身近に存在する問題として、考え続けていかなければならないと思いました。
(2年 浅香万由子)

 2015年9月15日の参議院特別委員会。国会で議員たちがもみくちゃになって暴れていた。そして19日の参議院本会議、「憲法違反!」の掛け声とどろく中、安全保障関連法案は可決された。あの時私は、この関連法案はどのような内容なのか、具体的に何がどう今までと変わるのか、理解していなかった。あれから半年が経とうとしている今、211勉強会に参加し、改めて関連法案および日米安全保障条約そのものについて、イチからきちんと勉強する機会を得た。
 この勉強会は、日米安保の歴史と、時代の流れに伴う解釈の変化を学び、歴史的事実を理解したうえで、今回の関連法案の内容を考える、というものであった。賛成反対の立場に偏ることなく、あくまで事実関係をしっかり捉えていくというスタンスで、大変勉強になった。
 私は国際学専攻だが、外を知るにはまず内から、という気持ちで参加した。日本史学研究室の皆さんの勉学に対する真摯さ、まじめさに驚かされ、学生としてあるべき姿を見せてもらったような気がする。
(国際学類4年 松野優子)

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講演会

2015年度金大祭日本史学研究室講演会(2015/11/03)
「徳川社会の仕組み‐土地は誰のものだったか‐」
講師 水本邦彦先生

 今年は、京都府立大学・長浜バイオ大学名誉教授の水本邦彦先生を講師としてお招きしました。水本先生は近世史を専門とされ、とくに近世の村落についての研究を中心にご活躍されています。

 水本先生は、人間の生産活動の拠点である土地と人間との関係について、徳川社会(江戸時代)を事例として説明してくださいました。近世社会における「村」の成り立ちや、その性格など基礎的なことから詳しく説明してくださいました。また、徳川社会において土地は誰のものだったか、という疑問を提起し、水本先生は、土地は領主のものでもあり、百姓のものでもあった、とし、土地をめぐる権利関係は身分と不可分の関係にあったという結論づけをされました。
 そうした点から、近代社会の土地所有は、徳川社会の土地と密接な関係にあった身分、という構造を否定して構築された国家的領有と私的土地所有の二元的構造にあったと指摘されました。これまで自分の中では、徳川社会における「村」は、当然それを支配する領主のものである、という近代社会的な考えでありましたが、水本先生による捉え方によって、自分の考え方を見直す契機になりました。
 もともと自分は近世史に興味があり、なかでも政治史に興味が集まっていたのですが、今回の水本先生が研究を進められている土地史、土地領有史にも興味が生まれ、自分の中の興味に幅が広がりました。さらに、一つの考え方に固執しすぎず、多角的な視点を持って考えるという仕事の重要性に気付かされ、今後はこのようなことに注意をしながら、知見を広げていこうと思いました。
(2年 小野啓)

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金沢城+軍都金沢スタディツアー(2015/10/24)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月24日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、近代の軍都金沢の痕跡を探ることも主眼としたため、見学会の名称を「金沢城+軍都金沢スタディツアー」として実施しました。大変うれしいことに、この見学会には、日本近世近代史概説Bを受講している国際学類の学生や1年生も参加してくれました。気持ちよく晴れた秋晴れの空の下、午前中は金沢城公園、午後は兼六園とその周辺を見学し、普段何気なく目にしている街の景観に、様々な歴史の痕跡が刻み込まれていることを実感しました。以下に参加者の感想を紹介します。

 私は10月24日に開催された、金沢城スタディツアーに参加しました。歴史ある金沢をより深く理解することはもちろん、今回は近世・近代において、軍事拠点である“軍都”金沢に焦点を置いた新しいツアーとなりました。
 「石垣の博物館」として知られる金沢城では、石垣の建造年代や建築方法を確認しました。金沢城内でも石垣の建造年代、建築方法には差があり、そこにも歴史を見て取ることができます。他にも兼六園や尾山神社を巡り、軍事との関係や正しい歴史を学びました。 また、金沢城周辺の水の流れを追うとともに、金沢城周辺の地理的環境と遺跡の関係を学び、実際に足を使わないと学ぶことができない歴史観を得ることができるツアーとなりました。
 さらに、もう一つのテーマは歴史遺産の保存・活用の在り方を考えることでした。遺跡の保存はもちろんですが、それを活用し後世に残すことは現代の重要な問題であるとともに、歴史を学ぶ私たちにとっても重要なテーマでした。今回のツアーは、私たちが勘違いしがちな認識を正すとともに、私たちが暮らす金沢という歴史ある街を見つめなおす絶好の機会となりました。
(2年 岩松岬樹)

 軍都金沢。この言葉を知ってはいたものの、正直ピンと来ていませんでした。このスタディツアーで、「軍都」という言葉を意識しながら街を歩いてみて驚きました。城内や市街の至る所に、軍都としての歴史が残されている。今回は、金沢城、兼六園をはじめとするさまざまな史跡の意味を学び、実に得るものが多いツアーでしたが、何よりの収穫は、金沢の軍都としての姿を“初めて“見ることができたことです。
 私は金沢に来て4年目ですが、金沢城や兼六園、石川護国神社などを訪れたことはあっても、その歴史をきちんと知らぬ一知半解の徒でした。まさに能川先生のご忠告通り、兼六園は前田利家の庭だったのだろうと、勝手に思い込んでいたのです。そのため、要所での先生の説明は初めて聞く内容ばかりで、目から鱗がぼろぼろ落ちました。今までただの観光スポットとしか見ていなかった史跡が、歴史を知ることによって、急に生き生きと見え始める、という新鮮な感覚を味わいました。
 その中でも特に驚いたのは、金沢市街の水の流れの仕組みです。せせらぎ通りや柿木畠を流れる用水は、江戸時代に整備されたもので、犀川から引かれた水が市街地、兼六園、そして金沢城にまで、ひたすら続いていることを自分の目で実際に確かめ、驚嘆しました。
 参加者は人文学類の人がほとんどでしたが、他の学類の人も、歴史に自信がない人でも、参加する価値のあるツアーだと思いました。加賀藩時代の金沢も、軍都としての金沢もまとめて学べて、しかも能川先生の、ツアーガイドの白眉と言える解説付き。こんなに気持ちよく知識欲を満たしてくれる贅沢なツアーは他にありません。 この先、友人が金沢に遊びに来ることがあれば、私は胸を張って金沢を案内できるでしょう。
(国際学類4年 松野優子)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2015/8/15~16)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は3名が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。

 今回、初めて釜ヶ崎スタディーツアーに参加しました。今回は、「天王寺村を歩く」をテーマに、西成区周辺、特に阿倍野区での再開発の軌跡をたどりながら、それを受けて釜ヶ崎がどのような影響を受けたのかという趣旨で、ツアーが実施されました。
 スタディーツアーに参加して、「百聞は一見に如かず」ということを改めて実感しました。西成区の周辺地域は、再開発に伴う道路拡張、家族向けの高層マンションの相次ぐ建築など、人々の生活にとっては「住みやすい」景観になっていました。しかし、それまで周辺地域で暮らしていた人々が排除され、釜ヶ崎へと追いやられ、開発が進んだということが、水野さんから説明されました。その他にも、もっともらしい理由を掲げ、対象となる地域にもともと住んでいた人々を排除するという動きが、この他にも見られました。あべの再開発の結果、大規模なショッピングセンターが建設されたことなど、耳に心地いいニュースは、石川にいても届きましたが、その影で排除された人々については、このスタディーツアーがなければ、知ることはなかったでしょう。
 また、講義等で聞いた様子からはまた違い、釜ヶ崎が「福祉のまち」から少しずつ変化している印象を受けました。高齢化した日雇い労働者の方々が、生活保護によって福祉マンションに入居するようになった、ということを講義では聞きました。実際に行ってみると、大規模な高齢者福祉施設が建設中であるなど、福祉の対象が、釜ヶ崎の人々だけにとどまらず、各地で扱いきれないような人々にまで、拡大しつつあることが分かりました。
 そして、教員を目指している者として、日本が現在のような発展を実現した裏には、日雇い労働者の存在があったことを、生徒に教えたいと思いました。私たちが普段暮らしている日常からは、見えにくい部分でもあるとも思うので、日本社会のそうした側面についても、生徒と一緒に考えていきたいです。最後になりましたが、今回のスタディーツアー運営に携わってくださった方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。
(博士前期1年 村井愛香)

 一日目は2時間半ほどかけて釜ヶ崎地区を散策したが、受けた印象としては、労働者が路上で生活することを、行政が懸命に防止・禁止していることが分かった。具体的には、労働者が路上に店舗を出すことを禁止するように、路肩に柵を設けること、警察による徹底した巡回、防犯カメラなど、その対策は様々である。特に、小学校や中学校の周辺では、それが更に徹底されていた。
 私は、このような策には肯定出来る。その理由としては、路上で人間が生活するということは、その本人たちにとっても、或いは周囲の人間にとってもマイナス面が多いからである。行政が言わば強制的に路上生活を規制することによって、路上生活者も路上生活者の側も他の生活方法を考えられるからだ。
 しかし、その場合、行政は路上生活者を支援する方策を考えなければならない。シェルターの増設や支援金の支給、また、路上生活者のための娯楽施設の創設や資金援助など、路上生活者を物理的に排除するのではなく、路上生活者を路上生活者でなくする方法を考えなければならないと感じた。
 ツアー後、釜ヶ崎について、有識者の話を聴くことが出来た。釜ヶ崎が労働者の街から福祉中心の街へと移行するというのがテーマだったが、10年後、20年後には釜ヶ崎がどのような街になっているのか益々気になった。今後も、釜ヶ崎を見守っていきたい。
 一方で、釜ヶ崎地区では、人の営みも感じられた。商店街には賑わいがあり、また、個人の経営する商店も沢山あった。一般的な街よりも人の営みを感じられる街でもあった。また、私が行った時は夏祭りが開催中で、その夏祭りは多くの人が参加して、とても賑やかだった。私が今までに経験した中で一番華やかな地域の祭りであったとも言える。
 二日目は、紙芝居劇「むすび」の方々との交流会だったが、「むすび」の方々の目は輝いていた。見ている人を楽しませようと、紙芝居に加えて聴衆の前で劇をする。これも、単なる紙芝居との違いで、「むすび」の良いところである。見ていて、とても明るい気分になれたのに加えて、自分も紙芝居劇に参加したいという気分になった。
 更に、「むすび」のメンバーと一緒にそうめんを作り、食べる機会があったが、食事中にそれぞれの「むすび」に対する思いや釜ヶ崎のこと、また、私自身のことなどで様々な話が出来、有意義な時間を過ごせた。
 今回2日間を通しての参加者が私1人だけで寂しかったが、来年は多くの学生が参加し、更に多くの人が釜ヶ崎について学ぶことが出来たら幸いである。
(人文学類社会学専門分野3年 柏原 麟)

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「戦争を語り継ごうの会」との交流会(2015/2/15)

 近現代史ゼミでは2015年2月15日に、大学の地元・鈴見台で活動されている「戦争を語り継ごうの会」との交流会を行いました。「語り継ごうの会」を主催されている竹味恭子さんの発案で、「語り継ごうの会」に集う戦争体験世代の方々と、ゼミ受講生との交流の場をつくろうという呼びかけをいただいたのです。まずは城北病院名誉院長である莇昭三さんを講師にお招きして731部隊に関する学習会を開催し、共に学ぶことによって双方の交流のきっかけづくりとしました。87才になった現在においてもなお現役医師として活躍される一方で、医師の社会的責任として731部隊の医学犯罪を明らかにするべく研究を続ける莇さんのお話は、大学で近現代史を学ぶ私たちにとって刺激的な内容であったと同時に、その研究者としての姿勢にも教えられるものがありました。さらに、講演終了後の質疑応答では活発な意見表明が相次ぎ、若い世代は戦争体験世代からいろんなことを継承するように期待されていることを実感しました。以下に、参加者の感想を紹介します。

 今回の交流会でお聞きした戦争体験者の方々からのお話は、衝撃的であり、また歴史学を学ぶとはどういうことかを考えさせられた。私は、今回莇先生のお話をお聞きするまで、正直なところ731部隊とはどういう組織だったのか、ほとんど知らなかった。「マルタ」と呼ばれる捕虜を用いた人体実験を行い、アジア全域で細菌戦という医学犯罪を起こし、多くの犠牲者を出し、そして敗戦後にはその証拠を隠滅した。このような恐ろしい出来事を今まで自分が知らなかったこと、そしてこの出来事を知らない人がまだ沢山いるであろうということにショックをうけた。また、莇先生が強調されていた「沈黙は不道徳」という言葉が印象的だった。戦争が起こってしまってから反対するのでは遅く、起こる前に今、反対の声をあげなければならないという莇先生の訴えが感じられた。
 また、語る会に参加されていた他の戦争体験者の方々の活発なご発言も印象深かった。ご発言された方々の強い口調や、周りの方々の頷きの様子から、現在の政治的・国際的状況に危機感を持ち、黙ってはいられないといった思いが感じられた。戦後70年を迎え、戦争を生で体験した人が減少し、戦争が少しずつ風化してしまいそうになっていることも事実だと思う。起きてしまった過去の戦争の反省をこれから自分が生きる時代にどう活かしていけばいいのか。正しい答えは、正直今の自分には分からない。しかし、せめて今できることは、戦争に対する正しい認識をもち、現在起こっている問題を把握することなのではないか。歴史学とは決して過去を研究するだけの学問ではなく、確実に、これからの時代を作るための学問でもあるのだと感じた。
(安井花織)

 先日、「戦争を語り継ごうの会」との交流会に参加した。特に莇昭三さんの731部隊を主に取り上げ、日本医学界の戦争責任についての講演会はとても興味深いものであった。それまで、私は、731部隊とは大量虐殺のできる生物兵器を作るため部隊というイメージを抱いていた。莇さんのお話でも、「マルタ」を被験体とした実験などイメージ通りの話もあったが、生物実験を行う目的に、日本軍が感染・負傷した場合の対処法を見つけ出すという目的もあったことを知り、驚いた。しかし、このようなことをしていた731部隊の実態を明らかにしない、詳しく伝えることもできない現状があるというのも意外であった。日本軍兵士に対しても過酷な環境であったということも初めて知り、海外だけではなく自国にもかかわる問題であると実感した。莇さんのお話を通して、今から比較的に近い時代の方が、明らかにされてないことが多いのではないかと思うと同時に、いろいろな制約の中で、歴史学をする者としてどうしていけばいいのだろうかと不安になった。
  その後、質疑応答の場で「戦争を語り継ごうの会」の参加者の方々が、自分の体験をお話になると共に、それを踏まえて今日の日本社会に対する不安について語っていた。それを聞いて、私たちは戦争体験の受け手となると共に発信者にもなるのだということに気づいた。今までは「受け手」であるという意識が強かったため、伝えることにも意識しなければならないと思った。また、変わりゆく世界情勢の中で日本はどうあるべきか、日本に住む者として現状に向き合って考えなければならないと思った。戦後から日本も、日本を取り巻く世界情勢も、他国の内情も変化している。今まで通りのやり方や今まで言われてきたやり方だけでは、上手くいかない面もあるのではないだろうか。そのような中で、歴史学は過去にあったことから「いまどうすべきであるか」を見出すことができるのではないかと思った。
(安土 絢)

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2014年度2.11勉強会(2015/2/11)

 近現代史ゼミでは、毎年2月11日に授業の一環として勉強会を開催し、現在の歴史学が直面している課題について勉強しています。今年は、吉見義明著『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット、2010年)をテキストにして、「従軍慰安婦問題を考える」というテーマを立てました。昨年夏の朝日新聞誤報問題以来、慰安婦問題をめぐる議論が盛んになっていますが、その中には吉田清治証言が虚偽であったことをもって、慰安婦問題そのものがねつ造であるかのように報じるメディアまで現れるようになりました。このような今だからこそ、歴史学を学ぶ私たちは、歴史学研究においては何がどこまで明らかにされたのかを見極め、メディアの報道に惑わされることなく、慰安婦問題にどのように取り組むべきなのかを考えようと思ったのです。
 当日は、ゼミ受講生の川岸惟子・三輪悠里・安井花織・高橋香織の4人が、まずテキストの内容と慰安婦問題をめぐる歴史学界での議論の動向を紹介し、さらに河野談話や朝日新聞誤報問題をめぐって今何が問題になっているのかという点について、調べたことを報告してくれました。その後、慰安婦問題をめぐって私たちはどう向き合えばいいのかという点を中心に、参加者全員で議論しました。また、今年は、近現代史ゼミ受講生以外の学生や吉永先生・上田先生も参加され、積極的に発言して下さったので、とても実りのある勉強会になりました。
 以下に、参加者の感想を紹介します。

 私の慰安婦問題に対する理解は、ごく表面的なものでした。一昨年、すでに留学に来ていた私は、河野談話の根拠が崩れたという内容の日本の新聞記事を読んで、結局慰安婦問題における強制連行の有無について、わからなくなってしまいました。決して新聞記事をうのみにするつもりはなかったのですが、ただ、この記事の言いたいことが正しいかどうかを判断する能力さえ、私には持っていなかったのです。そこで、歴史問題は中日・韓日関係に影響を与えている重要な要素にもかかわらず、自分は多くの歴史問題について、実質のところなにもわかっていないということに気づきました。今回、2.11勉強会に参加させていただいて、大変勉強になりました。吉見義明氏と秦郁彦氏の研究を取り上げて慰安婦問題をめぐる論点の整理や、河野談話・朝日バッシングの経緯を検証する発表を聞いて、日本における慰安婦問題の全体像をつかむようになりました。また、みなさんの討論・発言を聞いて、慰安婦問題だけではなく、歴史学の役割についても、考えるようになりました。それは、史料検証や学問的議論を通して、歴史問題の解決の糸口を見いだすことです。一つの問題について、人によって違う見方が出てくるのは自然なことです。これに対して、史料検証を踏まえて合意を獲得し、それでも存在する見解の相違を学問の枠の中に議論する姿勢は、大切だと思います。根深い歴史問題でも、このように辛抱づよく取り組みつづけば、解決の日がいつか来るかもしれません。そして、歴史学を志す者にとって、これはこれで一つ大きなやりがいのある事でしょう。今回の2.11勉強会に参加させていただくことに、改めてお礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました。
(人文学類1年 黄?)

 今年の2.11勉強会は従軍慰安婦問題について取り上げました。私は今回、発表者として参加させていただきましたが、非常に学ぶところの多い実りある会になったのではないかと感じています。従軍慰安婦に関して、研究史整理に始まり、河野談話の問題、朝日バッシングなど、内容は多岐に渡りましたが参加者の皆様がそれぞれの視点で意見を交わし、内容の濃い議論ができたと思います。今現在も取り沙汰されているタイムリーな問題であり、「歴史学と現在」のつながりを強く感じた勉強会となりました。
 私自身は、今回の勉強会に参加するまで従軍慰安婦についてほとんど何も知らない状態でした。更に言うと知らないからこそこうした問題に触れることを無意識のうちに避けていたように思います。しかしながら、今回の勉強会を通して、朝日バッシングをはじめとして社会の中でこの問題が大きく取りざたされている今こそ、真剣にこの問題と向き合わなければならないのだと改めて感じることができました。勉強会を終え、従軍慰安婦問題に限らず、今後考えていくべき問題は多くあるのではないかと感じています。そうした問題から目を背けることなく向き合う姿勢を大切にしていきたいです。
(高橋香織)

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