課外活動

2014年以前の課外活動はこちらからご覧ください。

2018年度211勉強会(2019/2/11)

 近代ゼミでは、毎年建国記念の日とされている2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、福間良明著『「戦争体験」の戦後史-世代・教養・イデオロギー-』(中公新書、2009年)をテキストにして、2018年度後期の近代ゼミで行った、出征経験者のご子息からお話しをうかがう二次証言聞き取りの意義について考えることとしました。 当日は、福間氏の著書を取り上げ、戦争体験を巡る世代間の関係性や政治との関わりなどについて理解を深めました。特に、世代間の認識の違いについて考察を深め、戦争体験は、世代や個々人の間で断絶(≒変容)を繰り返しながら継承されているが、その断絶にこそ歴史的意義がある、ということを確認しました。そして、子が親の戦争体験を語り継ぐ活動にはどのような意義があるのかをめぐって、活発な議論が繰り広げられました。以下に参加者の感想を紹介します。 (石渡利和)

 参加させていただきまして本当にありがとうございました。私にとって多くの方と共同で近現代史の勉強をすることが初めてで、とても緊張しましたが、能川先生をはじめ、ゼミの皆さんが温かく迎えてくださり本当に貴重な体験になりました。ありがとうございました。さて今回の211勉強会に参加しての感想を、以下に簡単に述べさせて頂きます。
 福間良明さんは、「戦争体験」の語られ方の世代間の「断絶」に可能性を見出そうとしているのに対し、私が参加させて頂いた211勉強会では、世代的に「断絶」しながらも親の戦争体験を「継承」しようとしている次世代の人びとの取り組みをどう位置付けるべきかという問題を考えている点が、印象に残りました。特に興味深かったのは、「継承」には国民としての責任も引き継ぐのかという問題です。私自身は引き継ぐべきだと考えました。しかしだからと言ってすべてに対して謝罪すればいいとは考えていません。日本人として、または世界人の中の日本人として正しい行いをしたいと考えるなら、日本の行動に対して正義か悪かの線引きをしっかりと行い、それに基づく範囲内で「国民の物語」に近いような歴史教科書を作り、日本人としての誇りも忘れないようにする必要があると思います(もちろん実証主義歴史学も大切であり、それも含めた大きな意味での線引きです)。その線引きを考えるのは、ある種、近現代史研究者にとっての使命の一つなのかもしれないと考えます。そして、この聞き取り調査こそがその線引きを考える大きな一助になる可能性かもしれないと期待しています。 (信州大学教育学部 松田崚吾)

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講演会

2018年度金大祭日本史学研究室講演会(2018/10/27)
講師 木本好信先生

 今年の金大祭では、龍谷大学特任教授の木本好信先生を講師としてお招きして講演会を開催しました。木本先生は古代史を専攻とされ、とくに古代政治史についての研究を中心にご活躍されています。
 木本先生は、奈良時代後期の称徳・道鏡政権とその実権掌握について祥瑞などの視点から面白く、かつ明快に説明してくださいました。

 自分はもともと称徳・道鏡政権については高校で習う程度の事しか知らず、今回の講演会を拝聴させていただいて、より知見を深めることが出来ました。また、新たな視点から歴史を見る面白さにも気づくことが出来ました。質疑応答も白熱し、大変有意義な講演会でした。(2年 岡崎倖尚)

兼六園スタディツアー+金沢城スタディツアー(2018/10/26)

2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月26日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、午前中に兼六園スタディツアーをオプション企画として実施し、午後に定番の金沢城スタディツアーを実施しました。大変うれしいことに、兼六園スタディツアーでは、兼六園に設置された明治紀念標(日本武尊の銅像)を卒論の研究テーマにしている4年生の湯川尭君が、ガイド役をつとめてくれました。以下に参加者の感想を紹介します。(能川泰治)

私はスタディツアーの午前の部に参加し、兼六園の案内と解説をさせていただきました。卒業論文では兼六園内にある「明治紀念標」を題材として、建設された経緯や目的を研究し、慰霊という目的だけでなく、天皇イメージを浸透させる目的があったことを見出そうとしています。今回のスタディツアーでは卒業論文で兼六園に関する内容に取り組んでいるという縁で、兼六園全体について解説しました。兼六園は現在、美しい景観を持つ観光名所として多くの観光客が訪れる場所となっていますが、歴史を研究する上でも非常に勉強になる場所です。兼六園の曲水や敷地利用の変遷を知ることで、現在の兼六園の姿とは違う一面に気付いてもらえたと思います。  今回のスタディツアーは、解説が未熟な部分が多くありましたが、参加してくださった方にとって勉強になったなら幸いです。また、私自身も質問や意見をいただき、今後の卒業論文を執筆していく上で励みになりました。(4年 湯川尭)

金沢城スタディツアーに参加し、金沢城内の石垣を中心に見学する中で、城の基礎的知識から金沢城の変遷、文化財の保護など幅広い学習ができたと感じた。金沢城を実際に歩くことで郭の高低差や広さを体感し、異なる時代に積み上げられた石垣を目の前で比較したことで、金沢城内の建築物の火災による焼失やその後の再建の有無、さらに再建時に採用された技術などの解説を聞きながら、時代とともに変化していく金沢城の姿をその場でイメージするという貴重な体験ができたと感じた。(2年生 滝沢香織)

 金沢城は兼六園と並んで金沢を代表する観光地であり、特に金沢城の石川門は金沢のランドマークとして市民にも親しまれている。そんな金沢城を今回じっくりとまわりながら築城時から現在に至るまで金沢城はどのような経緯をたどってきたかについて理解することができた。同時に文化財保存の問題についても考えることができた。金沢城は近代に陸軍の師団が置かれ、現代には金沢大学が置かれるなどし、加賀藩時代の城の様相が大きく変わってしまっている。近年藩政時代に存在した建築物の復元工事が重ねられ、近世の城の様相を取り戻しつつある場所もある。しかし、金沢城の石垣の中には明治期に改造された箇所もあり、それを近世のものに復元しようという話も出ているが、改造された箇所を近代の史跡として残さなくていいのかという問題があるということも学んだ。文化財の保存の難しさと、復元は慎重に行わなければならないということを実感した。
(2年生 田中里実)

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2017年度211勉強会(2018/2/11)

 近代ゼミでは毎年建国記念日とされている2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は、参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、平岩俊司『北朝鮮-変貌を続ける独裁国家-』(中央公論 2013年)をテキストにして、「北朝鮮の歴史と現在について考える」というテーマを設定しました。これまでも北朝鮮は国際社会の制止をふりきって、核実験やミサイル発射実験を行い、近隣諸国に多大な脅威を及ぼしてきました。また日本との関係では、拉致問題も長年問題視されています。特に最近では、日本の上空を通過するミサイル発射が頻繁に行われるようになり、北朝鮮の脅威はますます高まっているように感じます。しかし、なぜ北朝鮮はこれほどまで対外的に脅威となってしまったのか、我々はきちんと理解できているのでしょうか。そこでこのようなテーマを設定して、北朝鮮の歴史を理解し、日本は近隣の国としてどう関わっていくべきかを議論していくことにしました。
 当日の発表では、テーマに即した形で第一部と第二部に分け議論を行いました。第一部では平岩氏の著書を取り上げ、金日成の時代から金正日、金正恩の時代を概観し、北朝鮮が対外的に脅威になった転換点について考えました。その中では、主体思想や先軍政治といった北朝鮮の政治の基礎となる概念について議論が行われました。さらに北朝鮮の転換点として、冷戦の終結が一つの区切りになっているのではないかという見解も出されました。
 第二部では日朝の外交関係を冷戦期から日朝平壌宣言まで整理し、歴史家やジャーナリストの日朝関係に関わる意見と合わせて、これから日本が取るべき方針について考察しました。その中で、史料の理解に基づいた意見が交わされました。さらに、北朝鮮と今後どのように関わるべきかを考えることは歴史学に求められていることなのか、歴史学の果たす役割は何か、という議論にまで発展していきました。以下に参加者の感想を紹介します。 (湯川 尭)

「近くて遠い国」といえば韓国の代名詞のようにいわれるが、むしろ北朝鮮の方がこの言葉にしっくりくるだろう。日本にとってこれほどまでに「近くて遠い国」は他にあるだろうか。
1965年の日韓基本条約で日本は、韓国が朝鮮半島における唯一の合法国家であることを認めたので、条約締結後に北朝鮮と日本が国交を結ぶことが法的にできなくなってしまった。韓国が中国やロシアと国交正常化を行ったことで北朝鮮は周辺国との孤立を深めた結果、アメリカに圧力をかけて北朝鮮の体制を認めてもらう必要が出てきた。それが核開発の原因の一つになったと私は理解した。
 北朝鮮がなぜこれほどまでに遠い存在であるのかという疑問は、韓国という存在を介在させることで少し理解できた気がした。 (細川竣平)

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松代大本営見学ツアー(2017/11/3)

 今回、初めての試みとして、長野県長野市松代町にある松代大本営の見学会を開催しました。松代大本営は、アジア・太平洋戦争末期、すなわち1944(昭和19)年11月11日から1945(昭和20)年8月16日までの約9か月間にわたる、象山・舞鶴山・皆神山の掘削工事によってつくられた、地下壕やその周辺の建設物のことです。この場所に、戦中の最高統帥機関であった大本営や皇居が移転する予定でしたが、実際に使用されることはなく、敗戦を迎えました。
 企画者である堀内が、卒業論文の題材として松代大本営について研究しており、参加者と松代大本営の見学を通して、研究対象への理解を深めたいと考え、見学会を企画しました。また、参加者にとって、アジア・太平洋戦争や、長野という地域の歴史について、少しでも学習できる機会になればと考えていました。
 当日は能川先生、荒木さん、石渡さん、細川さん、宮田さんとともに、秋晴れの心地よい天気のなか見学会を行うことができました。午前中はオプショナル―ツアーとして、善光寺を見学しました。午後は大本営が設置される予定であった象山地下壕と皇居となる予定であった舞鶴山の地震観測所を見学しました。参加者から質問をいただくなかで、松代大本営という戦争遺跡がどのような遺跡であるのか、考察が深まり、研究により一層励んでいきたいと思う機会になりました。以下に参加者の感想を紹介します。(4年 堀内風佳)

 松代大本営という言葉を聞いた時、私は後ろ三文字につられて、松代というのは特別な街だと勝手に思った。しかしいざ松代の地に足を着けてみると、そこは何の変哲も無いのどかな場所だった。故郷との違いは山の大きさくらい、と感じた。また、地下壕の入り口は目立つところにあるのだろうと予想していたが、これも間違い。民家の後ろにひっそりとその口を開けているだけだった。百聞は一見にしかずとは、正にこのことを言うのだ。
 地下壕の中などは実際に入ってみないと、イメージの全てが捏造であることを実感した。例えば、これは現代の状況だが、進入を阻止する柵に折り鶴が吊され、その向こうの暗がりから聞こえる、水の滴る音が死者の涙を連想させたことは、イメージの中に入ることは決して無い。
 だが、再認識したこともあった。それは、当時の上層部は松代の地では結局何も見ることはできなかっただろう、ということだ。あの山に囲まれた場所で見えるのは山ばかり。普段文字ばかり見る私と一緒だ。
 大学生になっても勉強の基本形は座学だが、大学生ならばその自由を生かして何処へでも行くことが肝心だ。そう思わせる大変良い一日旅でした。
 最後に、長野のとろろご飯は最高だ!   (2年 石渡利和)

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講演会

2017年度金大祭日本史学研究室講演会(2017/10/29)
講師 家近良樹先生

 今年の金大祭では、大阪経済大学客員教授・家近先生をお招きして講演会を開催しました。家近先生は、日本近代政治史、特に幕末史研究において活躍されています。
 家近先生は、ご自身の西郷隆盛研究を通じて、史的人物論の難しさと面白さについて説明してくださいました。来年の大河ドラマ「西郷どん」を控え、幕末の英雄として絶大な人気を誇る西郷隆盛の真の人物像について、西郷の内面に迫りながら紹介してくださいました。

 先生のお話を聞く中で、人物史は根拠とする史料の数が少ないこと、人物の内面に踏み込まなければならないことなど、人物史研究特有の難しさを知ることができました。人物史研究を志す学生からの質問も出され、有意義な講演会となりました。
(2年 岡本詩織)

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平和町・野田山スタディツアー+金沢城スタディツアー
(2017/10/27)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月27日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、近代の軍都金沢の痕跡を探ることを主眼としたため、午前中に平和町と野田山を歩くスタディツアーをオプション企画として実施し、午後に定番の金沢城スタディツアーを実施しました。大変うれしいことに、この見学会には、日本近世近代史概説Bを受講している国際学類の学生や留学生も参加してくれました。気持ちよく晴れた秋晴れの空の下、普段何気なく目にしている街の景観に、様々な歴史の痕跡が刻み込まれていることを実感しました。以下に参加者の感想を紹介します。

 私はスタディツアー午前の部に参加し、野田山陸軍墓地の案内と解説をさせていただきました。卒業論文では同墓地内にある忠霊塔を題材として、建設された経緯や目的、国民の建設への動員の実態等を研究し、国民の精神動員について何らかの結論を導き出したいと考えています。野田山陸軍墓地で注目すべきは、やはり対外戦争ごとに建設された合葬碑だと思います。野田山を見ると個人墓碑が多いですが、時代の古い明治期のものなどは手入れもされずに荒廃しています。しかし、戦没者を合葬という形式で合祀することによって、多くの遺族が墓地の清掃や参拝に出向き、永久的に墓域が保たれます。質疑では参加者の2年生から、忠霊塔への献金や隣接する軍人墓碑についての貴重な指摘を受けて、卒業論文執筆の参考になったと感じています。
 今回のツアーは、解説が拙い部分もありましたが、参加者にとって意義のあるものになったと思います。また、私自身も質問や感想を受けて、応答できたこととできなかったことがあったので、卒業論文執筆前の良い機会であったと感じています。(4年 金子凌己)

 平和町・野田山は、いずれも金沢出身の私にとって慣れ親しんだ地名であり、今までも何度か足を運んだ。このスタディツアーで実感したことは「身近な地域にも歴史は根付いている」という、非常に素朴な事実だった。平和町はかつて第九師団兵営の一部などがあり、軍都金沢の機能を担っていた。しかし敗戦後、復員兵などの住宅地として生まれ変わったと学んだ。戦死者の霊を祀る平和神社、戦災孤児の福祉施設から始まった亨誠塾も、戦争の悲惨さを背景としながら、復興を求めた人々の熱意を感じられた。
野田山に登ると、まず戦争による様々な理由で亡くなった方々を慰霊する墓地を見学した。次に、反植民地闘争を起こし銃殺された尹奉吉の暗葬の地を見た。戦争への静かな怒りが湧き上がってくるとともに、20年金沢に住んでそれらを知らなかった自分を恥じた。
 生まれた地域を歩き、歴史という視点で捉え直す体験は案外少ない。歴史研究のヒントを得る上でも、地域を考える上でも、非常に意義のあるツアーだった。 (2年 山下 司)

 バスに乗るとき、金沢城と兼六園の姿がいつも目に留まります。見るたびに、わけもなく感動させられます。しかし、中に入ったことは一度もなかったのです。何も知らないままで入ってざっと見て帰るのが嫌ですから。ですので、能川泰治先生の「金沢城スタディツアー」の話を聞いた後、すぐ申し込みました。参加することができて、本当によかったと思っています。
 午後1時、金沢城。先生は全体の構えから、固い防御工事(狭間、石落としなど)、石垣の変遷まで詳しく説明してくれました。石垣に関わるエピソートも聞くことができました。いつも神秘に見える石垣、今回は違う雰囲気に見えて、親しくなった気もしました。「金沢城の復元」という問題についても自分なりに考えました。 午後3時40分、兼六園。兼六園は前田家が作った庭園だということは一応知っていますが、庭園だけではなく、明治以降、政治に関心を持っている市民は兼六園の中で集会なども行っていたとは思わなかったのです。そして、兼六園の中に流れている水はなんと辰巳用水からだということにびっくりしました。また、明治紀念の標に関する知識も詳しく説明してくれました。その銅像をはっきり観察できるため、先生が重い双眼鏡まで持ってくれたことにすごく感動しました。今も感謝しています。  今回のスタディツアーのおかげで、いろいろと勉強になりました。そして、金沢にも一層の親近感を感じました。
いいね、金沢!(留学生 陳昱維)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2017/8/15~16)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は4名が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。

 2017 年の釜ヶ崎見学は私にとって初の実地調査であったが、知識として知っていたことと見聞して体験したことは明確に異なるということを実感した。日雇い労働者の街、戦後に発生した暴動、あいりん地区としての名称や高齢化、外国人旅行者の増加等といったことは以前から知っていたが、実際に間近で見ると釜ヶ崎という土地の良さや問題点、そしてそれらを発生させた社会のあり方が鮮明に浮かんだのである。大学や大都市の一部分で引きこもっていては理解できない現実が釜ヶ崎にはあった。労働の高度化とコモディティ化がいっそう進むであろう現代において、労働者は今まで以上に忘れ去られる存在となってしまうのではないか。若しくは、行政や他の地区の住民達と断絶していくのではないか。しかしこのような苦悶を抱えつつも、これらや現段階に存在している釜ヶ崎または日本の問題を釜講座や夏祭り・越冬闘争といった行動によって乗り越えようとする姿勢と熱気がそこにはあったのである。
 歴史学においてどのように人へと焦点をあてるかは度々議論になるが、日常生活では対象先という点において、自分と立場の異なる人に焦点をあてる機会はあまりない。しかし歴史を学び日常的に現代の社会について考えるならば、数値やデータ上の人間ではなく生きている人に触れなければ真の理解は得られないだろう。私は今回の見学でこのことを強く感じ、これからの生活と勉学に役立てていこうと思った。
(2年 神部滉陽)

 今回の釜ヶ崎訪問では地域の現状を学習対象とし、二日間の滞在を行いました。
   一日目はツアー形式で地域内を見て周り、現在の釜ヶ崎は諸外国からのバックパッカーを多数受容するとともに、中韓の人々が様々な形式で労働する街に変化しており、これまでの「日雇労働者の街」という単純なイメージで語られるべきものではないことを理解しました。かつては労働者のために機能していた施設の取り壊しなど、釜ヶ崎は変革を続けており、それに伴い浮上する行政の問題など、この地域を取り巻く問題は多く残存しています。この現状に対して地域の人々を強く動かすのは、全国の労働社会の礎を築く存在である日雇労働者軽視への怒りと悲しみである、という印象を受けました。
 また二日目には現地の紙芝居劇「むすび」の皆さんとの交流会があり、活動の場を共有するという体験もしました。「むすび」の皆さんは、紙芝居劇を通じて複数の地域や多数の人々と交流を行っていますが、高齢化の進む釜ヶ崎という地域で暮らす方々にとっては、このような生きがいの創出と地域的・人間的なつながりが必要なのであり、全国的にも決して看過してはならない、という感想を持ちました。
 昨年度に続いて二度目の訪問となりましたが、この釜ヶ崎という地域の持つエネルギーの大きさには依然として驚きを感じています。直接地域の人々と触れ合い、お話を伺ってこそ知り得た事ばかりで、有意義な時間を過ごせました。 (3年 荒木柾人)

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2016年度2.11勉強会(2017/2/11)

 近代ゼミでは毎年建国記念の日である2月11日に、授業の一環として、現在の歴史学が直面している課題についての勉強会を開催しています。この勉強会は参加者をゼミ受講生に限らず他学類生や一年生からも参加を募り、課題テーマに対する積極的な議論により、日本近現代史の重要な論点についての理解を深めています。
 今年は、河西秀哉「「新生日本」の出発と皇太子外遊」(『年報 日本現代史9 象徴天皇と現代史』現代史史料出版、2004年)をテキストにして、「現代における象徴天皇像の形成」というテーマを立てました。昨年8月8日に出された天皇のお気持ち表明以来、「天皇の生前退位」が話題になりました。その中で、現在の象徴天皇制という言葉が新聞やニュースでたびたび出てきました。しかし私たちは、本当に現在の象徴天皇制を理解していると言えるのだろうか、そして現代の歴史学においてもこの現代象徴天皇制はどのように形成されていったのかを本当にわかっているのかというような疑問を抱いたため、今回はこのテーマにしました。
当日は、ゼミ受講生である市本大貴、金子凌己、中村圭佑、渡邉瑞萌の4人を2つのグループに分けて発表しました。はじめに、市本、中村がテキストを基に、今上天皇が皇太子だった頃の活動に触れ、現代の象徴天皇制の形成過程について詳しく見ていきました。その中では①皇室外交と政治の距離の取り方について、②マス・メディアと天皇制のかかわりについて、の2つの視点を中心に議論が展開されました。
次に、金子、渡邉が「天皇のお言葉」や、日本国憲法の天皇にかかわる部分を取り上げ、非常に曖昧である現在の象徴天皇制について発表しました。この中では、象徴天皇制はこのように当たり前のようになっているが、なぜなのかといった疑問が飛び交うなど活発な議論が参加者の間で行われました。
以下に、参加者の感想を紹介します。 (3年 渡邉瑞萌)

今回の211勉強会は象徴天皇制と生前退位についてということで、非常にタイムリーな話題であり、私自身、今なぜこんなに今上天皇の生前退位で揉めているのかという問題の根本をあまり詳しく理解できていなかったので、大変興味を持って参加させていただきました。
この勉強会を終えて、私が現在の天皇制について思ったことは、この制度はまだ誕生してからが若く、まだ確固たる基盤のない未完のものであるということです。皇室典範において天皇の生前退位を認めないことになったのが明治の始めから、そして事実上の象徴天皇制が始まったのが、今上天皇からです。先例が少なすぎます。正直宮内庁も内閣もどうしたらいいのかわからないというのが実際のところでしょう。今上天皇がどう退位なさるのかが、今後の天皇制の基準になる節もあるので、今回生前退位を「特例」とする一種の「逃げ」を選んだことはあまり良くないのではと私は思いました。
このようにじっくりと一つの問題について考え、自分の意見を持つというのはなかなか日常生活ではできないことですので、この勉強会は大変良い機会となり、楽しませていただきました。ありがとうございました。
(人文学類1年 平井遥佳)

皇族は日本人にとって常識的なものである。しかし皇族や天皇の社会の中での役割や位置づけ、または歴史の中での位置づけはさほど明確ではないだろう。私自身これ等のことに関して明確な知識を持っていないこともあり、今回の2.11勉強会に参加させて頂いた。
発表を聴いた上で印象的だったのは皇族と政治との距離の近さである。皇族に参政権がないことは周知の事実であるが、それに反して皇室外交という形式で非常に政治的な役割を果たしている事実は覚えておくべき点であると感じた。
一方で、発表内では天皇制は肯定的に捉えられていたが、その点に関して私は懐疑的である。現在の天皇制には、天皇が国民の象徴でありながらも参政権やプライバシーの権利を持たないという矛盾が容易に見出されるだろう。また、発表内では触れられていなかったが、皇族の宗教的特性も考慮に入れる必要がある。政教分離の問題だけではなく、歴史的に宗教的意味合いを持った人物が国民の象徴であるというのも、不自然ではなかろうか。
日本史学の研究は私自身の専門とは離れているが、これらの問題は日本に生きている人々にとって共通の課題であり、周知をはかっていくべきだと感じた。
(金沢大学大学院 人間社会環境研究科 人文学専攻(哲学)1年 齊藤 嘉生)

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沢山美果子先生をお迎えして勉強会を開催しました(2016/9/6)

 金沢大学日本史学研究室では、毎年夏季休業中に学外から先生をお招きして集中講義を行っていただいています。今年の集中講義には、岡山大学客員研究員でいらっしゃいます、沢山美果子先生をお招きいたしました。
 沢山先生は、日本近世・近代における女性史・ジェンダー史を専門になさっています。「子どもは母性愛を持つ母親に育てられるべき」という常識は、いつから常識になったのかという問いを出発点として、近代家族について研究を行い、近代の家族・女性を相対化したいという考えから、近世のご研究もされています。
 集中講義に先生をお招きするにあたり、近代ゼミ受講生の担当者が中心となり、事前に2回の勉強会を開催いたしました。
 1回目は、沢山先生の論文である、「近代家族と子育て・再考」(『歴史評論』684号、2007年)を取り上げました。論文執筆当時に先生が抱いていた問題意識、そして今後の課題をよく理解することが出来ました。2回目は、2013年に刊行された先生の著作である『近代家族と子育て』(吉川弘文館、2013年)の読書会を行いました。企画した近代ゼミの担当者以外にも、他の時代を専攻している学生も多く参加し、活発な議論がなされました。そして、勉強会の中では、どうしても解決できない疑問が生まれ、直接沢山先生にお聞きする機会を設けたいということになり、集中講義1日目の授業終了後に、先生をお招きして勉強会を行いました。論文・著書をお書きになった先生に、直接質問をさせていただくことはとても貴重な体験で、中身の濃い議論が行われ、収穫の多い勉強会になりました。
 これらの勉強会で得た知識をもとに、集中講義ではさらに詳しく性・生殖の歴史について学ぶことが出来たと思います。勉強会に快く参加していただき、私たちのためにご尽力頂いた沢山先生に、感謝申し上げます。ありがとうございました。
(3年 浅香万由子)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2016/8/14)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は3名が参加しました。8月14日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。


 今回の釜ヶ崎見学で自分を顧みることができた。僕が釜ヶ崎見学を希望した理由は過去に同じ大阪で下層の生活を送った経験があり、大学生となった今、それを客観的に見てみたいと思ったからである。見学会を経て感じたのは当事者であるホームレスなどの人たちや自分たち部外者も現状を知らなすぎだということである。釜ヶ崎地区を取り巻く事情は刻々と変わっているのに(西成特区構想、民泊など)それらはあまり知られていなく、得をする人とそうでない人に分けられていた。この街には自己責任という言葉が付きまとうがその一言で片付けていいのか?知らなかったで済まされるのか?といった考えにいたった。しかしそんな中でも夏祭りの屋台でのやり取りの人間臭さ、名も知らない人を悼むという人情、それらは再開発の進む大阪、ひいては日本において忘れてはいけないものなのではないかと気づかせる見学会であったと思う。
(4年生 伊藤尭)

 今回の見学会では釜ヶ崎の地域内をツアー形式で見て周りましたが、街全体の建築物や施設から窺える暴動の痕跡に刻まれた人々のエネルギーの大きさに驚く一方で、これからの釜ヶ崎に対する強い不安感も感じました。近年は生活者の高齢化による福祉マンションの建設や、民泊という新たな宿泊形態の実施により街は変革期を迎えましたが、先行きは不透明です。また、再開発を理由に学校の近くに交番が新設され、監視カメラが増設される等、行政と生活者の心の乖離が浮き彫りになっているのが現状です。ツアー内で語られていた「釜ヶ崎は人々の最後の受け皿である」という言葉の重さを再度考え直す必要性があるのではないか、と感じました。
歴史学を専攻している身からしても「日雇い労働者」という時代を通じて軽視されがちな人々の生活に根付く問題を、文献ではなく直接見聞きする貴重な体験になりました。ありがとうございました。
(2年生 荒木柾人)

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野田山見学会(2016/4/25)

 4月25日(月)に、近世史ゼミと近現代史ゼミの合同企画として、野田山墓地の見学会を行いました。野田山は、金沢市街の南部に位置する標高175・4メートルの高台で、古くから葬送の地として利用されており、近世には前田家の歴代藩主とその一族及び家臣と有力町人の墓地として利用され、明治以降は陸軍の軍人墓地としても利用されてきました。よく晴れた空の下、上田・能川両教員の説明を聞きながら、墓碑の配置・形状や刻み込まれた文言などをじっくりと観察し、なぜここにこのような墓所があるのか、墓所から何がわかるのかを考えてきました。以下に当日の参加者の感想を紹介します。

 

 近代ゼミと近世ゼミの一環として野田山墓地を見学しました。石川県戦没者の墓地は戊辰戦争から太平洋戦争までの墓碑が並んでおり、共同墓碑の大きさや合葬碑の分けられ方が時期によって違っていたのが印象的です。石碑の細かい文字なども確認できました。またロシア人墓碑や、在日韓国人によって作られた朝鮮人独立運動家の記念碑などもあることを知りました。戦没者墓地には日本人のお墓だけがあるものだと思っていたので意外に思いました。
前田家の墓地では、大きく土が盛り上がったようなお墓が一人に対して一つあり、江戸時代の殿様やその奥方様のお墓にはこのようなものがあるのかと、実際に見てみて初めてイメージができるようになりました。お墓の前には鳥居があり明治時代に神式に改められた跡がわかりました。今回の見学でそれぞれの墓地を自分で見て確かめることができ貴重な経験になりました。
(2年 小泉美乃里)

 私は今回初めて野田山墓地見学に参加させていただきましたが、近世から近現代に至るまでの「慰霊」の空間というものに触れることができたように思います。
 まず、時代や埋葬者・慰霊者の身分に関わらず、その数の多さとそれらが同じ空間にあることに驚きました。私の地元では自然災害の犠牲者のための慰霊碑などを見ることがあっても、大名家など有力者の墓地を目にする機会はありませんでした。そのため大名家の墓地といえば、寺社に納められているか、隔離された「神聖」な空間に厳かに埋葬されているイメージを持っていましたので、戦没者慰霊碑や他の身分の墓地と同じ空間にあるということが非常に不思議に感じられると同時に、実際に歩いてみると思っていたよりも自分との距離がずっと近いという印象を受けました。
 また、陸軍戦没者墓地は広場のような空間に整然と墓碑が並んでおり、他の墓所とは違う緊張感を感じました。なかでも印象に残っているのは露国俘虜碑です。さほど大きなものではありませんでしたが、日本人戦没者の墓碑と同じ空間にあること、埋葬者個人の宗教に合わせたマークが刻まれていることから、敵兵に対してもまた同じように敬意の心があったことを強く感じました。
 今回、実際に現地を歩くという経験をして、どこまで自分が当時の人々の視線に合わせることが出来たかはわかりませんが、今まで自分が感じていたよりも歴史を身近に感じることが出来たように思います。文献史料などによる知識ももちろん大切ですが、実際に現地を訪ねてみることの必要性を強く感じました。 
(3年 新宮莉央)

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2015年度2.11勉強会(2016/2/11)

 近現代史ゼミでは、毎年2月11日に授業の一環として勉強会を開催し、歴史学と現在をつなぐテーマを取り上げ勉強しています。今年は、佐々木隆爾『新安保体制下の日米関係』(山川出版社、2007年) をテキストにして、「日米安保を考える」というテーマを立てました。昨年夏に可決された安保関連法案と、その際行われたSEALDsをはじめとした抗議活動が世間の注目を浴びました。法案が可決した後もこの法律を批判する言説が飛び交っている中で、一体何が問題視されているのか、そもそも日米安保体制はどのようにして形成されたのかを知る必要があると考えました。そして、歴史学を学ぶ私たちは、こうした現状をどう捉えたら良いのかを考えようと思いました。
 当日は、ゼミ受講生の髙橋香織・浅香万由子・中村圭佑・堀内風佳がまずテキストの内容と、日米安保体制をめぐる歴史学会での議論を紹介し、更に今回可決された安保関連法案やSEALsの活動について報告しました。その後、私たちは安保関連法案とそれをめぐる社会の動きを歴史学の観点からどう捉えれば良いのかという点を中心に、参加者全員で議論しました。今回は近現代史ゼミ受講生以外の学生や吉永先生も参加され、盛んな議論が行われたため、非常に実りある会になりました。(3年 高橋香織)
 以下に、参加者の感想を紹介します。

 今回の211勉強会には、発表者の一人として参加させていただきました。日本史を学ぶ学生として、そして日本人として、向き合っていかなければならない問題について討論することができ、大変意義のある会となりました。
 中学・高校の歴史の授業で、近現代史を詳しく学ぶことが出来ず、戦争の歴史・戦後史から目を背けがちだった私は、今回の題材である日米安保についてほとんど知らない状態でした。しかし、歴史学の立場からこの問題を考えることで、日米安保について理解が深まり、近現代史を学ぶ必要性を感じました。現在と歴史を通して知る過去とはつながっていることに気づかされ、現在直面している問題やこれからの生活を考えるために、歴史を学ぶこと、過去を知ることが大切であると思いました。また、歴史学はどうあるべきかという議論が特に印象に残っています。答えは今すぐに出すことが出来ませんが、日本史を学んでいく過程で考えていきたいと思います。
 日米安保の他にも私たちが直面している問題が多くあるように思います。それらを私たちの身近に存在する問題として、考え続けていかなければならないと思いました。
(2年 浅香万由子)

 2015年9月15日の参議院特別委員会。国会で議員たちがもみくちゃになって暴れていた。そして19日の参議院本会議、「憲法違反!」の掛け声とどろく中、安全保障関連法案は可決された。あの時私は、この関連法案はどのような内容なのか、具体的に何がどう今までと変わるのか、理解していなかった。あれから半年が経とうとしている今、211勉強会に参加し、改めて関連法案および日米安全保障条約そのものについて、イチからきちんと勉強する機会を得た。
 この勉強会は、日米安保の歴史と、時代の流れに伴う解釈の変化を学び、歴史的事実を理解したうえで、今回の関連法案の内容を考える、というものであった。賛成反対の立場に偏ることなく、あくまで事実関係をしっかり捉えていくというスタンスで、大変勉強になった。
 私は国際学専攻だが、外を知るにはまず内から、という気持ちで参加した。日本史学研究室の皆さんの勉学に対する真摯さ、まじめさに驚かされ、学生としてあるべき姿を見せてもらったような気がする。
(国際学類4年 松野優子)

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講演会

2015年度金大祭日本史学研究室講演会(2015/11/03)
「徳川社会の仕組み‐土地は誰のものだったか‐」
講師 水本邦彦先生

 今年は、京都府立大学・長浜バイオ大学名誉教授の水本邦彦先生を講師としてお招きしました。水本先生は近世史を専門とされ、とくに近世の村落についての研究を中心にご活躍されています。

 水本先生は、人間の生産活動の拠点である土地と人間との関係について、徳川社会(江戸時代)を事例として説明してくださいました。近世社会における「村」の成り立ちや、その性格など基礎的なことから詳しく説明してくださいました。また、徳川社会において土地は誰のものだったか、という疑問を提起し、水本先生は、土地は領主のものでもあり、百姓のものでもあった、とし、土地をめぐる権利関係は身分と不可分の関係にあったという結論づけをされました。
 そうした点から、近代社会の土地所有は、徳川社会の土地と密接な関係にあった身分、という構造を否定して構築された国家的領有と私的土地所有の二元的構造にあったと指摘されました。これまで自分の中では、徳川社会における「村」は、当然それを支配する領主のものである、という近代社会的な考えでありましたが、水本先生による捉え方によって、自分の考え方を見直す契機になりました。
 もともと自分は近世史に興味があり、なかでも政治史に興味が集まっていたのですが、今回の水本先生が研究を進められている土地史、土地領有史にも興味が生まれ、自分の中の興味に幅が広がりました。さらに、一つの考え方に固執しすぎず、多角的な視点を持って考えるという仕事の重要性に気付かされ、今後はこのようなことに注意をしながら、知見を広げていこうと思いました。
(2年 小野啓)

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金沢城+軍都金沢スタディツアー(2015/10/24)

 2年生の必修授業である日本史学実習では、1年を通して3~4回にわたって学外見学実習を行っています。その学外実習の一環として、10月24日には恒例の金沢城スタディツアーが実施されました。今年は、近代の軍都金沢の痕跡を探ることも主眼としたため、見学会の名称を「金沢城+軍都金沢スタディツアー」として実施しました。大変うれしいことに、この見学会には、日本近世近代史概説Bを受講している国際学類の学生や1年生も参加してくれました。気持ちよく晴れた秋晴れの空の下、午前中は金沢城公園、午後は兼六園とその周辺を見学し、普段何気なく目にしている街の景観に、様々な歴史の痕跡が刻み込まれていることを実感しました。以下に参加者の感想を紹介します。

 私は10月24日に開催された、金沢城スタディツアーに参加しました。歴史ある金沢をより深く理解することはもちろん、今回は近世・近代において、軍事拠点である“軍都”金沢に焦点を置いた新しいツアーとなりました。
 「石垣の博物館」として知られる金沢城では、石垣の建造年代や建築方法を確認しました。金沢城内でも石垣の建造年代、建築方法には差があり、そこにも歴史を見て取ることができます。他にも兼六園や尾山神社を巡り、軍事との関係や正しい歴史を学びました。 また、金沢城周辺の水の流れを追うとともに、金沢城周辺の地理的環境と遺跡の関係を学び、実際に足を使わないと学ぶことができない歴史観を得ることができるツアーとなりました。
 さらに、もう一つのテーマは歴史遺産の保存・活用の在り方を考えることでした。遺跡の保存はもちろんですが、それを活用し後世に残すことは現代の重要な問題であるとともに、歴史を学ぶ私たちにとっても重要なテーマでした。今回のツアーは、私たちが勘違いしがちな認識を正すとともに、私たちが暮らす金沢という歴史ある街を見つめなおす絶好の機会となりました。
(2年 岩松岬樹)

 軍都金沢。この言葉を知ってはいたものの、正直ピンと来ていませんでした。このスタディツアーで、「軍都」という言葉を意識しながら街を歩いてみて驚きました。城内や市街の至る所に、軍都としての歴史が残されている。今回は、金沢城、兼六園をはじめとするさまざまな史跡の意味を学び、実に得るものが多いツアーでしたが、何よりの収穫は、金沢の軍都としての姿を“初めて“見ることができたことです。
 私は金沢に来て4年目ですが、金沢城や兼六園、石川護国神社などを訪れたことはあっても、その歴史をきちんと知らぬ一知半解の徒でした。まさに能川先生のご忠告通り、兼六園は前田利家の庭だったのだろうと、勝手に思い込んでいたのです。そのため、要所での先生の説明は初めて聞く内容ばかりで、目から鱗がぼろぼろ落ちました。今までただの観光スポットとしか見ていなかった史跡が、歴史を知ることによって、急に生き生きと見え始める、という新鮮な感覚を味わいました。
 その中でも特に驚いたのは、金沢市街の水の流れの仕組みです。せせらぎ通りや柿木畠を流れる用水は、江戸時代に整備されたもので、犀川から引かれた水が市街地、兼六園、そして金沢城にまで、ひたすら続いていることを自分の目で実際に確かめ、驚嘆しました。
 参加者は人文学類の人がほとんどでしたが、他の学類の人も、歴史に自信がない人でも、参加する価値のあるツアーだと思いました。加賀藩時代の金沢も、軍都としての金沢もまとめて学べて、しかも能川先生の、ツアーガイドの白眉と言える解説付き。こんなに気持ちよく知識欲を満たしてくれる贅沢なツアーは他にありません。 この先、友人が金沢に遊びに来ることがあれば、私は胸を張って金沢を案内できるでしょう。
(国際学類4年 松野優子)

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大阪・釜ヶ崎地域訪問 (2015/8/15~16)

 近現代史ゼミ(担当教員:能川泰治)では、夏休みの特別企画として大阪の釜ヶ崎地域訪問を実施していますが、今年は3名が参加しました。まず8月15日に釜講座が毎年開催している釜ヶ崎スタディツアーに参加し、水野阿修羅さんの案内で約3時間かけて現地を見学しました。翌16日には、釜ヶ崎で暮らす高齢者の紙芝居サークル「むすび」の事務所を訪問し、メンバーのみなさんと楽しい語らいのひと時を過ごしました。
 以下に、参加者の感想を掲載します。また、釜ヶ崎地域の歴史と現状が私たちの暮らしと深く関わっていることと、人と人とのふれあいの楽しさ・大切さを教えて下さった、釜講座と「むすび」のみなさんには、心から御礼申し上げます。

 今回、初めて釜ヶ崎スタディーツアーに参加しました。今回は、「天王寺村を歩く」をテーマに、西成区周辺、特に阿倍野区での再開発の軌跡をたどりながら、それを受けて釜ヶ崎がどのような影響を受けたのかという趣旨で、ツアーが実施されました。
 スタディーツアーに参加して、「百聞は一見に如かず」ということを改めて実感しました。西成区の周辺地域は、再開発に伴う道路拡張、家族向けの高層マンションの相次ぐ建築など、人々の生活にとっては「住みやすい」景観になっていました。しかし、それまで周辺地域で暮らしていた人々が排除され、釜ヶ崎へと追いやられ、開発が進んだということが、水野さんから説明されました。その他にも、もっともらしい理由を掲げ、対象となる地域にもともと住んでいた人々を排除するという動きが、この他にも見られました。あべの再開発の結果、大規模なショッピングセンターが建設されたことなど、耳に心地いいニュースは、石川にいても届きましたが、その影で排除された人々については、このスタディーツアーがなければ、知ることはなかったでしょう。
 また、講義等で聞いた様子からはまた違い、釜ヶ崎が「福祉のまち」から少しずつ変化している印象を受けました。高齢化した日雇い労働者の方々が、生活保護によって福祉マンションに入居するようになった、ということを講義では聞きました。実際に行ってみると、大規模な高齢者福祉施設が建設中であるなど、福祉の対象が、釜ヶ崎の人々だけにとどまらず、各地で扱いきれないような人々にまで、拡大しつつあることが分かりました。
 そして、教員を目指している者として、日本が現在のような発展を実現した裏には、日雇い労働者の存在があったことを、生徒に教えたいと思いました。私たちが普段暮らしている日常からは、見えにくい部分でもあるとも思うので、日本社会のそうした側面についても、生徒と一緒に考えていきたいです。最後になりましたが、今回のスタディーツアー運営に携わってくださった方々に御礼申し上げます。ありがとうございました。
(博士前期1年 村井愛香)

 一日目は2時間半ほどかけて釜ヶ崎地区を散策したが、受けた印象としては、労働者が路上で生活することを、行政が懸命に防止・禁止していることが分かった。具体的には、労働者が路上に店舗を出すことを禁止するように、路肩に柵を設けること、警察による徹底した巡回、防犯カメラなど、その対策は様々である。特に、小学校や中学校の周辺では、それが更に徹底されていた。
 私は、このような策には肯定出来る。その理由としては、路上で人間が生活するということは、その本人たちにとっても、或いは周囲の人間にとってもマイナス面が多いからである。行政が言わば強制的に路上生活を規制することによって、路上生活者も路上生活者の側も他の生活方法を考えられるからだ。
 しかし、その場合、行政は路上生活者を支援する方策を考えなければならない。シェルターの増設や支援金の支給、また、路上生活者のための娯楽施設の創設や資金援助など、路上生活者を物理的に排除するのではなく、路上生活者を路上生活者でなくする方法を考えなければならないと感じた。
 ツアー後、釜ヶ崎について、有識者の話を聴くことが出来た。釜ヶ崎が労働者の街から福祉中心の街へと移行するというのがテーマだったが、10年後、20年後には釜ヶ崎がどのような街になっているのか益々気になった。今後も、釜ヶ崎を見守っていきたい。
 一方で、釜ヶ崎地区では、人の営みも感じられた。商店街には賑わいがあり、また、個人の経営する商店も沢山あった。一般的な街よりも人の営みを感じられる街でもあった。また、私が行った時は夏祭りが開催中で、その夏祭りは多くの人が参加して、とても賑やかだった。私が今までに経験した中で一番華やかな地域の祭りであったとも言える。
 二日目は、紙芝居劇「むすび」の方々との交流会だったが、「むすび」の方々の目は輝いていた。見ている人を楽しませようと、紙芝居に加えて聴衆の前で劇をする。これも、単なる紙芝居との違いで、「むすび」の良いところである。見ていて、とても明るい気分になれたのに加えて、自分も紙芝居劇に参加したいという気分になった。
 更に、「むすび」のメンバーと一緒にそうめんを作り、食べる機会があったが、食事中にそれぞれの「むすび」に対する思いや釜ヶ崎のこと、また、私自身のことなどで様々な話が出来、有意義な時間を過ごせた。
 今回2日間を通しての参加者が私1人だけで寂しかったが、来年は多くの学生が参加し、更に多くの人が釜ヶ崎について学ぶことが出来たら幸いである。
(人文学類社会学専門分野3年 柏原 麟)

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「戦争を語り継ごうの会」との交流会(2015/2/15)

 近現代史ゼミでは2015年2月15日に、大学の地元・鈴見台で活動されている「戦争を語り継ごうの会」との交流会を行いました。「語り継ごうの会」を主催されている竹味恭子さんの発案で、「語り継ごうの会」に集う戦争体験世代の方々と、ゼミ受講生との交流の場をつくろうという呼びかけをいただいたのです。まずは城北病院名誉院長である莇昭三さんを講師にお招きして731部隊に関する学習会を開催し、共に学ぶことによって双方の交流のきっかけづくりとしました。87才になった現在においてもなお現役医師として活躍される一方で、医師の社会的責任として731部隊の医学犯罪を明らかにするべく研究を続ける莇さんのお話は、大学で近現代史を学ぶ私たちにとって刺激的な内容であったと同時に、その研究者としての姿勢にも教えられるものがありました。さらに、講演終了後の質疑応答では活発な意見表明が相次ぎ、若い世代は戦争体験世代からいろんなことを継承するように期待されていることを実感しました。以下に、参加者の感想を紹介します。

 今回の交流会でお聞きした戦争体験者の方々からのお話は、衝撃的であり、また歴史学を学ぶとはどういうことかを考えさせられた。私は、今回莇先生のお話をお聞きするまで、正直なところ731部隊とはどういう組織だったのか、ほとんど知らなかった。「マルタ」と呼ばれる捕虜を用いた人体実験を行い、アジア全域で細菌戦という医学犯罪を起こし、多くの犠牲者を出し、そして敗戦後にはその証拠を隠滅した。このような恐ろしい出来事を今まで自分が知らなかったこと、そしてこの出来事を知らない人がまだ沢山いるであろうということにショックをうけた。また、莇先生が強調されていた「沈黙は不道徳」という言葉が印象的だった。戦争が起こってしまってから反対するのでは遅く、起こる前に今、反対の声をあげなければならないという莇先生の訴えが感じられた。
 また、語る会に参加されていた他の戦争体験者の方々の活発なご発言も印象深かった。ご発言された方々の強い口調や、周りの方々の頷きの様子から、現在の政治的・国際的状況に危機感を持ち、黙ってはいられないといった思いが感じられた。戦後70年を迎え、戦争を生で体験した人が減少し、戦争が少しずつ風化してしまいそうになっていることも事実だと思う。起きてしまった過去の戦争の反省をこれから自分が生きる時代にどう活かしていけばいいのか。正しい答えは、正直今の自分には分からない。しかし、せめて今できることは、戦争に対する正しい認識をもち、現在起こっている問題を把握することなのではないか。歴史学とは決して過去を研究するだけの学問ではなく、確実に、これからの時代を作るための学問でもあるのだと感じた。
(安井花織)

 先日、「戦争を語り継ごうの会」との交流会に参加した。特に莇昭三さんの731部隊を主に取り上げ、日本医学界の戦争責任についての講演会はとても興味深いものであった。それまで、私は、731部隊とは大量虐殺のできる生物兵器を作るため部隊というイメージを抱いていた。莇さんのお話でも、「マルタ」を被験体とした実験などイメージ通りの話もあったが、生物実験を行う目的に、日本軍が感染・負傷した場合の対処法を見つけ出すという目的もあったことを知り、驚いた。しかし、このようなことをしていた731部隊の実態を明らかにしない、詳しく伝えることもできない現状があるというのも意外であった。日本軍兵士に対しても過酷な環境であったということも初めて知り、海外だけではなく自国にもかかわる問題であると実感した。莇さんのお話を通して、今から比較的に近い時代の方が、明らかにされてないことが多いのではないかと思うと同時に、いろいろな制約の中で、歴史学をする者としてどうしていけばいいのだろうかと不安になった。
  その後、質疑応答の場で「戦争を語り継ごうの会」の参加者の方々が、自分の体験をお話になると共に、それを踏まえて今日の日本社会に対する不安について語っていた。それを聞いて、私たちは戦争体験の受け手となると共に発信者にもなるのだということに気づいた。今までは「受け手」であるという意識が強かったため、伝えることにも意識しなければならないと思った。また、変わりゆく世界情勢の中で日本はどうあるべきか、日本に住む者として現状に向き合って考えなければならないと思った。戦後から日本も、日本を取り巻く世界情勢も、他国の内情も変化している。今まで通りのやり方や今まで言われてきたやり方だけでは、上手くいかない面もあるのではないだろうか。そのような中で、歴史学は過去にあったことから「いまどうすべきであるか」を見出すことができるのではないかと思った。
(安土 絢)

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2014年度2.11勉強会(2015/2/11)

 近現代史ゼミでは、毎年2月11日に授業の一環として勉強会を開催し、現在の歴史学が直面している課題について勉強しています。今年は、吉見義明著『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット、2010年)をテキストにして、「従軍慰安婦問題を考える」というテーマを立てました。昨年夏の朝日新聞誤報問題以来、慰安婦問題をめぐる議論が盛んになっていますが、その中には吉田清治証言が虚偽であったことをもって、慰安婦問題そのものがねつ造であるかのように報じるメディアまで現れるようになりました。このような今だからこそ、歴史学を学ぶ私たちは、歴史学研究においては何がどこまで明らかにされたのかを見極め、メディアの報道に惑わされることなく、慰安婦問題にどのように取り組むべきなのかを考えようと思ったのです。
 当日は、ゼミ受講生の川岸惟子・三輪悠里・安井花織・高橋香織の4人が、まずテキストの内容と慰安婦問題をめぐる歴史学界での議論の動向を紹介し、さらに河野談話や朝日新聞誤報問題をめぐって今何が問題になっているのかという点について、調べたことを報告してくれました。その後、慰安婦問題をめぐって私たちはどう向き合えばいいのかという点を中心に、参加者全員で議論しました。また、今年は、近現代史ゼミ受講生以外の学生や吉永先生・上田先生も参加され、積極的に発言して下さったので、とても実りのある勉強会になりました。
 以下に、参加者の感想を紹介します。

 私の慰安婦問題に対する理解は、ごく表面的なものでした。一昨年、すでに留学に来ていた私は、河野談話の根拠が崩れたという内容の日本の新聞記事を読んで、結局慰安婦問題における強制連行の有無について、わからなくなってしまいました。決して新聞記事をうのみにするつもりはなかったのですが、ただ、この記事の言いたいことが正しいかどうかを判断する能力さえ、私には持っていなかったのです。そこで、歴史問題は中日・韓日関係に影響を与えている重要な要素にもかかわらず、自分は多くの歴史問題について、実質のところなにもわかっていないということに気づきました。今回、2.11勉強会に参加させていただいて、大変勉強になりました。吉見義明氏と秦郁彦氏の研究を取り上げて慰安婦問題をめぐる論点の整理や、河野談話・朝日バッシングの経緯を検証する発表を聞いて、日本における慰安婦問題の全体像をつかむようになりました。また、みなさんの討論・発言を聞いて、慰安婦問題だけではなく、歴史学の役割についても、考えるようになりました。それは、史料検証や学問的議論を通して、歴史問題の解決の糸口を見いだすことです。一つの問題について、人によって違う見方が出てくるのは自然なことです。これに対して、史料検証を踏まえて合意を獲得し、それでも存在する見解の相違を学問の枠の中に議論する姿勢は、大切だと思います。根深い歴史問題でも、このように辛抱づよく取り組みつづけば、解決の日がいつか来るかもしれません。そして、歴史学を志す者にとって、これはこれで一つ大きなやりがいのある事でしょう。今回の2.11勉強会に参加させていただくことに、改めてお礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました。
(人文学類1年 黄?)

 今年の2.11勉強会は従軍慰安婦問題について取り上げました。私は今回、発表者として参加させていただきましたが、非常に学ぶところの多い実りある会になったのではないかと感じています。従軍慰安婦に関して、研究史整理に始まり、河野談話の問題、朝日バッシングなど、内容は多岐に渡りましたが参加者の皆様がそれぞれの視点で意見を交わし、内容の濃い議論ができたと思います。今現在も取り沙汰されているタイムリーな問題であり、「歴史学と現在」のつながりを強く感じた勉強会となりました。
 私自身は、今回の勉強会に参加するまで従軍慰安婦についてほとんど何も知らない状態でした。更に言うと知らないからこそこうした問題に触れることを無意識のうちに避けていたように思います。しかしながら、今回の勉強会を通して、朝日バッシングをはじめとして社会の中でこの問題が大きく取りざたされている今こそ、真剣にこの問題と向き合わなければならないのだと改めて感じることができました。勉強会を終え、従軍慰安婦問題に限らず、今後考えていくべき問題は多くあるのではないかと感じています。そうした問題から目を背けることなく向き合う姿勢を大切にしていきたいです。
(高橋香織)

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